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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

取り組み姿勢がすべてです 

数年前は立派なギャラリーを定期的に借りて精力的に個展活動をしていた、そのおかげでコマーシャルフォト(広告写真の雑誌)に特集を組んでもらったり、写真学校でトークしたり、おかげで写真を学ぶ人たちと接することが多くあってワークショップを定期的に開いて写真を教えていた。
でも最近やっていない、もうやらないと決めたわけでもないけど、多分今後定期はもうやらないだろうと思う。
そこで気がついたのは、写真はすぐ上手くなれるタイプと、いくらやっても上手くなれなれないタイプにきれいに分かれるんじゃないかって思う、その多くは上手くなれない人が圧倒的に多いって事実に気がついた、さっと上手くなるヤツは希中の稀的な存在だ。
それが結局才能の違いなんだと言ってしまえば、それで終わりかも知れないが、現実は、才能とかあれこれを語る以前の問題だと思う、以前は、ちょっと背中を押して、きっかけさえ作ってあげたら、ある程度のセンスは必要だけど、誰だってそこそこはすぐ撮れるって結構マジメに思っていた、今はそんな考えはもうしなくなった、問題意識が低ければいくらこっちがどんなに手出ししたところで、こればかりはどうにもならない。
これは写真だけに限った話ではない、生き方全体、何にでも通じる話じゃないかと思う、つまり結果が出せる人と、結果は出せない人、そこにはっきりと違いを感じた、結果が出せる人は、まず問題意識がまったく違うし捉え方も違う、ポイントも心得ている、世の中ではそれを「センスがある、センスがない」って言ったって思う、つまりセンスの正体は心の問題です、目の付け所が人とは違う、その根本はそれに対する問題意識の違いだと僕は思う。
そのセンスさえあれば、敢えて人から一々教えられなくたって、自分で勝手に考え自分の感性で捉え結果を出す、センスがなければいくら、何を教えたところで身に付かない、何かを教えたところで心に止まらないから結果も出ない、この考えは少し結論づけすぎかも知れないが、僕はそう思う、、、、。

話は変わるけど、僕は子供のころ、学校が合わない子だった、当然成績は良くなかった、でもNHKテレビでフランス語を自分から勉強するくらいだから心底から勉強嫌いではない、今だって毎日英語勉強をしてる。
でも学校の勉強はいくらもがいても馴染めなかった、でも家族はみな学業優秀だった、僕だけがダメだった、先生の話がすごく退屈だった、退屈は人の2〜3倍、忍耐力がない子だった、これは多分みんなには想像できないくらい、僕にとって辛いことだった、だって毎日、学校にダメな自分を味わいに行くようなものだから楽しくないに決まってる。
僕は学校に限らず苦手意識をいくつか持ってる、パソコンやスマフォの思考感覚もなかなか馴染めない、映画だって退屈なシーンがあれば話について行けず脱落するし、本にしても退屈なページが多ければ途中で脱落する、脱落する確率は間違いなく人より多いと思う。これは脳の構造問題で、こればかりはどんなに逆立ちしてもどうにもならなかった、でも救いもちゃんとある、自分の興味とか関心とか入り口さえ見つけたらもうシメたもので人の2〜3倍の集中力を持っている。
僕は中学から高校にかけては蒸気機関車の写真撮影にハマっていた、それは今見ても驚くほど高い水準で撮っていた、中高校生が撮るような写真ではなく、その完成度、その攻略意識はズバ抜けて高いものを始めから持っていた、もちろん人生経験とかでレベルの差はあるにしても、基本的な攻略意識は大人も中学生も対して違いなんかないって僕は思う、その世代をを甘く見たらダメだと思う。
なんでそうなのか?と言えば答えは簡単だ、学校が退屈で自分の居場所がない子だった、それが機関車の写真を撮ったら、カッコよく撮れた、鉄道雑誌写真に負けないレベルまで行っていた、時にはそれ以上いいのが撮れることもあった、写真を撮ることの問題意識は半端じゃない意識レベルを持っていたと思う。
それは一つには学校の結果悪さも手伝って、自分だってこんなことが出来る、その自己証明が欲しかったから必死だったとも言える、それは多分野球とかスポーツにも言えるんじゃないかな?勉強が苦手な分、その反動でスポーツに全神経が行く。改めてここで言いたいのは、要はどれだけ、それに対しての高い意識を持っているのか、その違いでしかない、僕は写真に関する優劣差はたったこれだけじゃないかって思っている。
だから、写真に関しては人並みに趣味として上手くなりたいとなんとなく思ってる人と僕らのように、攻略意識を持ってやってる人との間には大変な違いがあるがそれを目でハッキリ見ることはできない、強い必然と才能があれば、自然に興味は湧いて自分から切り開くし、その必然がなければ縁はないし、つまり才能があるから開花するではなくて強い必然とセンスがあれば開花する、それを才能と呼ぶ。だから、逆説的に、学校環境とは勉強嫌いな子にとっても重要な才能開花の場なのかも知れない、、、、。