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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

あのころは何も考えていなかったけど今ならもっと考えられる。 

去年のちょうど今頃から剣道を再び始めました。
以前やっていたのは小学校のころで、今になって当時を振り返ると「あのころは本当に何も考えていなかったんだな、、、」って思います。要するにただ親に言われてやっていただけで自分がやりたいからやっていたとは違い、そこに剣道に対してイメージはまったくなかった。
なんだってそうですが、人に云われてやる、自分がしたいからやる、実現させたいイメージを持って何かに向かうか、そうではない、では物事の結果は天と地ほどの違いが出ます。
剣道を再び始めて思ったことは、それは格闘技である前に、美学としての武道です、勝つ剣道である前に、いかにシャープに素早く美しく竹刀をピシッと振れるかに気持ちが集中しています、昔は竹刀の素振り練習の意味がまったく分かっていなかった、ただ力任せに竹刀を振っていただけです。今はまったく違って、素振りに明確なイメージを持っています、そのために自分は何をすべきか、何に注意すべきか、如何にきれいな一本が取れるかイメージを持って練習をしています。
昔は勢いだけで竹刀を振って突っ込んでいただけですが、今はどうすべきか常に考えます、それにそんな剣道をやっても第一つまらないし、体力だって持たないし、すぐに息が切れゼーゼーするのが関の山です、それが如何に愚かしいことか今なら分かってきました、でも幼いころに体に染み付いた悪しきクセは簡単には抜けず、力を抜いたシャープな素振りをイメージし、それを自分の体に一個一個丁寧に教え込んでいます。
思えば昔にくらべていい時代になったと思うのは、you tubeで手本が簡単に見られます、達人たちはどんな感じで竹刀を振っているのか見ると目から鱗です、竹刀裁きが実に素晴らしく美しい、、、こんな風に竹刀が振れたらいいなあって思いながら右手に力を抜いて左だけに意識を集中させて日々練習しています。
それさえ明確にイメージできれば目標は必然的に浮上します、まず左手首だけで竹刀がしっかり振れるように左腕素振りトレーニングを日々しています、小学校の頃なら、どんなに逆立ちしようがそんな認識はまったくなかった、つまり物事が上達する最大のカギはその認識があるかないかその一点だけです。もっと突っ込んで言えば、その物事に才能があるかないかは、その認識が始めからあるのか、ないのか、、、、そこです。
写真をやって人に教えて分かったのは、分かる人は教えなくても始めから分かってる、分からない人はいくら教えても分からない、でした。分かること、見えていること、感じていること、これが本当に大事なことなんだって思います。

話は少し変わって、もう少し年齢が成長した10代から20代にハマっていたことを、もう一度やり直して気がついた事ですが、あの当時は今にくらべてやはりまだ物事がしっかり見えなかった、考えられなかったことをしみじみと感じます、でも自分が成長して物事の向き合い方が分かって同じことに再び向き合い直すと、そこで見える世界がガラッと変わることに気がつきます。
ここ最近、頻繁にイギリスやアイルランドを旅行しているのはその理由です。あのころは語学力もなかったし、旅の能力がまだ幼く物事に対して見たり、感じたり、そこで考えたりが若く、ただ体力任せでイギリス全土を自転車で走り回っていただけですが、もっと見るべきことたくさんあったけど、それらが何も見えていなかったことに今旅をして気がつきます。
今ならそんなことしないな、、、もっと考えるな、、、とか、当時では見えなかったことが、今ならこれが見えるし理解できるし、もっと奥の深い中身のあることが考えられるな、、、、とか思いながら旅ができて、若い頃にした旅を再び歳を取ってやり直す旅は感慨深いものがあってなかなかいいものです。
さて、剣道に話は戻りますが、僕もう60代になりました、世の中で言えば、老人の入り口ですし、同年代では定年の年ごろですが、自分の実感では、まだまだ体力はあるし、思っていた以上に体は動くし、アタマだってまだ退化はしていないし、むしろ若かった頃よりもアタマが働くこともあるし、まだなんでもできる可能性があると思います。
やろうと思うならまだなんだってできそうなのに60代を定年にするのはどこか間違っています、使い方次第ではいくらでも活用ができる頭脳資源なのに定年してブラブラしている60代がたくさんいると聞きます、僕は来年くらいには有段者になってやろうと日々練習をしています。