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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

出会って出会えず、答えがないことを探す行為 

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6月に作品「魔法植物園」について何回に分けて所感を書きました、そして来月の8月1日から10日まで急遽、個展を開くことになりました。
でもここまで来るまでには、あれこれいろんな障害がありどうしたらこの壁は越えられるのか分からなくなり、いっ時は撮りに行っても、そこに鮮度がなく何も撮れなくなり、この作品を今後どう展開していいのかが見えなくなって1年半くらい休み期間もありましたが、ふっとしか思いつきから再び動き出しました。
その時、この作品はまた新たに撮り直さなくてはならないと思った、まず手始めに心残りの大島の椿撮影の仕上げのために大島から始めた。
撮影は過去撮った画像を見て、そこから撮り直す考えはしないことにした、過去は過去、今は今、過去したことは良いにしろ、悪しきにしろ、できるだけ忘れて今は今の感覚で撮りたい、その思いで椿の森に立った、新しい場所も視野に入れていろいろ候補地を探したがやはり2回目撮った場所が最も優れていると判断し、そこでもう一度撮り直すことにした。
今回、浮上した撮り方は、広く大胆に突き抜けることを心に撮った、撒き散らした椿の数は前回よりはるかに多く、広く、奥の奥まで散らし、密度も増やし中途半端ではなく徹底して椿を拾い集めてはバラ撒き、その作業に数時間かけて椿環境を作った、撮影ポイントはやや引いてやや高台からカメラを構えた、さらに画面は左右も振って撮っておいたが、最終画面はその通り左右振った画面を足して広く仕上げた。
撮ったものを後日見ると、前回撮ったものとは比較にならない、絵の力が写り込んでいた、それを左右繋げてカメラ画角より広くして仕上げたところ僕が描きたかった魔法植物園はこのわずか1枚だけですべて語られたと感じた。

それを見た時、5年間に同じ場所で何度も撮ったけど4度目でやっと満足なカットが撮れた、その理由は一体どうしてか考えた、その理由は、その時はこれで十分撮れたと思って持ち帰るが、撮った物を額装をして冷静に時間をかけて何度も見るとやはり何かが足らない不足感を徐々に感じ始めた、花の数がまだ足らないのか、撮る時、突き抜けた気持ちが不十分だったのか、でも現場ではそれに気かつかなかった。
でも実を言えば、たしかにその場では気が付かなかったのかも知れないが、実は現場でも薄々とそれに気がついてはいたが、まあなんとかやり過ごせるんじゃないか、何とかゴマカセるんじゃないかと思っていた、と思う、それは本当に何かを作りたいなら、結局は通用はしないんだと最近感じる、もし本気で何かを撮りたいなら、肝心なのは上手くなるよりも、ゴマカしたがる自分の心との戦いじゃないかと思う。

さらに今回の作品セレクトで感じたことでは、まだ納得するとこまで撮れていない、また撮り直し、と思っていたが、コロナ自粛で、過去これまで撮った作品をもう一度見直した、それらをもう一度色彩の調整をし直して見直したところ今まで感じていた印象が意外なくらいガラリと姿を変え作品は新しい世界に生まれ変わった。これは不思議だった、これは一体何なんだ?と思った。
ただしこれはどれにも通用はしない、ハイレベルな撮り方ですが、撮影時に色彩階調を意識した色彩ラチチュード幅のある撮り方がされていなければ、このやり方は通用しない、作品のすべてをその調子で点検し直し、それらを新しく調整し直してみると、今まで拾えなかった作品、素通りだった作品が、次々に新しい命が吹き込まれ、新しい作品がジャンジャン登場し始めた。まるでもう使い物にならなくなったガラクタたちが、ある日突然新たな命が吹き込まれ、次々に甦ったみたいな摩訶不思議な体験だった。

モノに出会い、そこに魅力を感じ、その人の感性で上手く切り取って、画像に仕上げる行為。
それが僕らが行っている写真を撮る行為です、でも第一の段階で、モノに出会う、ですが、多くはモノに出会えないで、その魅力が分からないでその場を素通りして終わる、出会っても見えないから出会えないまま終わる。
ある文化人がこれを「出会って出会えず」と言ったけど、僕は自分が撮った作品すら、それに出会えず、そこを拾えず、また撮り直しだとマジメに思い込んでいた、たまたまコロナ自粛のおかげで植物園は閉園、電車の遠出もダメ、仕方ない、過去撮った作品に向き合った、考えとやり方を変えたところ、まさかそれは宝の山だった。
今回のコロナ自粛のおかげでこの作品はできたようなモノ、もし自粛がなかったら今もムダに走り回っていたかも知れない、出会って出会えず、だったかも知れない。
作品を作る行為とは、このように日常生活であまり使わない感覚神経を駆使すること、今回のように5年も歳月をかけると、これまで知らなかった新境地に出会えます、これは誰もができるわけではなく、限られた人にしかできないことかも知れない、心を全開にする作業に興味のある方は是非やってみると良い、深みへと誘われるので心にとって非常に良い。それで新境地を体験できるかできないかは、その人次第ですが、、、、。