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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

捨てる神あれば、拾う神もいる、 

芸術で生きるには3つの仕事がある、仕事と言っていいのか、葛藤と言った方がいいのか、、、、。
僕らカメラマンは仕事が出たら、まあ世の中に比べたらわりと高いギャラが提示される、でもこんなものが毎日もらえるわけじゃないから、(中にはほぼ毎日もらうカメラマンも世の中にいる)特に暮らしが豊かではない、これがあるから毎日ブラブラしても何とか生き延びて来られた。
僕らの仕事は写真を撮ることよりも、どちらかと言えば仕事をもらう環境を整えること、カメラマンを維持すること自体が仕事だと言っても過言じゃない、仕事さえ出てしまえば、仮にそれがどんなにきつかろうがどこか遊びみたいなものだと僕は思っている、でも他の人の目から見たらそれをどう感じるかは僕には分からないない。
カメラマンと言ってもものすごくビジネスに徹してやってる人もいるから一言では言えないが、僕の場合一番きついのは仕事がぱったりない時、もう辞めようかと何度思ったことやら、、、毎日ぶらぶらしても仕方がない、バイトに行くしかない時だって過去にあった。
一番笑える思い出は、カップヌードルのポスターの仕事で海外に行った後、仕事がピタリと止まった、毎月の支払いだっていっぱいあった、ブラブラしてるわけにも行かず、派遣のバイトに応募したら、戸塚に日清の工場のラインのバイトがあるけど行きますか?と言われて、迷わず「行きます!!」と応えて翌日ラインでバイトした。
ストレスの溜まったフィリピン人労働者のおばさんにヘンな日本語で一日中怒鳴られ続けた作業だった。カップヌードルの撮影で海外に行った時は何から何までファーストクラス待遇だったが一転して、その2ヶ月後、日清の工場で箱詰め作業の日々、その時は最低気分だったが、今思えば、カップヌードルの立派なポスターを担当して、翌々月は日清の工場でバイト作業、これはなかなかできない貴重な体験だと思う、これをやったヤツは多分僕くらいだと思うと何だか誇らしい気分すら感じる。
話は戻す、どん底の時、精神的に自分をどうやって維持させるのか、その葛藤の日々こそが僕の写真家人生の最大の試練であり仕事だったと言っても過言じゃない。多分僕の写真の芯の強さはそこにあると言ってもイイくらいだ。

二番目の仕事は、むしろ本来の順番からすればこれこそ筆頭だと思うが、自分の技術技能、表現力、を切磋琢磨、向上させる努力、修練し続けること、これに関しても、それぞれ修練スタイルがまったく違う、ある人は修練なんて必要はない、最新のデジタル環境を整えてそれをいち早く現場で発揮できること自体が広告カメラマンとして最も重要なことだと思ってる人はたくさんいる、まあそう考えるのも修練といえば立派な修練かも知れないが、僕からすればちょっと修練とは違う気もするが、、。
新しい作品に取り組めば結果的にデジタルスキルは向上する、ソフトの使い方、色の出し方、プリンターの微妙な扱い方をこの時にすべて覚える、特にプリントは相当な量のムダプリントを出す、それにかかる紙代、インク代、プリンター維持費は多分皆さんが思う以上に何倍もお金を使う、10万20万なんてすぐ消える、作品1枚10万円なんて、知らない人からすればすごく高く感じるだろうけど、払ってきた僕からすれば少しも高くない。
でも、それが収入のほとんどは広告写真ならば、それが必須スキルかといえば特に必要ではない、作品作りなんて広告写真家視点から見れば、ほとんど役に立たないから、何のメリットもないとすら言える、それはただの写真趣味だと言われてしまえば、そうかも知れない。まあその判断は一言では片付けられない。
僕は作品作りは仕事というよりも、完全に遊びなんで仕事じゃないと言われるかも知れないが、やはりこれは堂々とした仕事だ、もちろん制作最中は葛藤とか苦しみもあるけど、これをやることで脳は活性化してるのは明らかに感じるし、これをするために広告写真家をやってると言ってもイイくらいだし、多くの広告写真家は作品作りをしない人がたくさんいるが、確かに何の利益もない、つぎ込むばかりだけど、逆にこの楽しみを知らない写真家ってちょっと可哀想な気さえする。

三番目の仕事は自分の表現、自分の生き方、あり方、それと世の中とどうどう接点、どう折り合いを持たせられるか?
例えば茶器の陶芸作家で生きて行く場合、茶道の家元との関わり(付き合い)は不可欠らしい、茶道の家元としがらみは持ちたくないなら、茶器陶芸家として生きて行くのは普通は無理でしょう、とある陶芸家から聞いたことがある。
その話から察するに、陶芸家として茶器を作って生計を立てるならば、茶器を作る達人であると同時に家元界とうまく付き合って気に入ってもらうか、そういうしがらみは一切持たず腕一本で自由気まま一匹オオカミとして生きて行くしかないが現実はかなり厳しいのは想像できる。
これは写真家世界にも同じことは言える、広告界がどんなものを求めているかで自分の作風を決める、広告界のクリエーター達が何を望んでいるかで作風を決める、彼らと付き合いをきちんとして仕事を取って行く。これはこれで一つの生き方ではあるけどこうなったらもはや芸術家ではない。でも芸術家なんて聞こえはいいけど多くはそんなモノだと思う。
自分が何が表現したいではなく、ニーズに応えて仕事体制を整えること、それを考えることだって写真家の仕事だ、プリント作品を売る作家世界だって、自分のファンを普段から大事にし年賀状や誕生日カードを送ること絶対に忘れない、それで個展を開いたら必ず集客をし売り上げを確実に取る写真家も大勢いる。そんな写真展に顔を出すと作品内容より、普段の付き合いの賜物だって思うほど赤印がたくさん付いている。
作品は大きく見せたいから大きな額で展示するではなく、住宅事情から小さい額が売れるから、小さい額中心に展示する、あまりアート視点よりはインテリア視点を中心に展示して確実に売り上げを取る考え方。
その辺の事情と自分表現の兼ね合いを調整して、何とか収支バランスを取って行く、これらを考えることが作品を売る仕事じゃないかと思う。
でも作品本来の理想からすれば世の中のアートストの多くはそればかりアタマがよく回る人の方が多分多いと思う。
それに対して自分はどう考えるべきか、、、まあそれが仕事といえば仕事なのかな?でもそうは言っても、自分の信念を持って作品を作り続けていると、時にはお金を持ってる人が「これイイね」とあっさりドカーンと大人買いをしてくれる人も中にはいるので、捨てる神あれば拾う神もいたりで、僕の場合、拾う神の出現を待つしかないのかな、、、。