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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

ロンドンは常識的でホッとした、ここならやって行ける! 

結局、、、パリからロンドンに弾かれるようにして移った、、、、ロンドンの話に入る前にパリについてもう少し話しを続けたい、フランス、パリからロンドンに移ったが、僕のフランスのお熱はあっさり醒めたわけではない、パリの魅力を余裕で楽しめるようになったのは、それから何年もずーっと後の話だった。
そもそもが、、、二十歳そこそこの少年が、、、初めての海外がパリ、右も左もさっぱり分からないパリ、海外初心者があの凄まじくて奥が深いパリを着た日からサッと受け入れ楽しませてくれるほどパリは甘くはない、またパリはそんな文化が浅い街ではない、手が負えなくて当たり前だと思う、日本人にとってフランス文化は何から何まで馴染みがない遠い文化なんだ、二十歳そこそこの若者がすぐに馴染めるはずがないと考えた方がまともだ、それが当時のパリの現実だった。
でも不思議なことに、、、、、文化レベルがある程度成熟した大人がやっと理解できるパリのエスプリを中高校生の僕が、直感的にうっすらと理解していたのは間違いなく本当だった、、、、よくまあ中高校生でパリのエスプリに取り憑かれたな、、、、自分自身に感心した、やはり直感とは年齢差を超越するんだ。

さて、鉄道と船を乗り継いでドーバーのイミグレーションを通過した、なんとしても6ヶ月ビザを取りたかった、国境通過は衣服をきれいな物に着替えて通過した、何か聞かれたら所持金と航空券はサッと出るように準備した、予定通り6ヶ月ビザをもらいロンドンに着いた。
まず感じたのは、やはりイギリスはフランスと違って、極めてまともな国だった、物事はすべて常識的だった、日本人にどこか似た国民性、車は静かでパリみたいに突っ込んで来ない、人は穏やかで話し方はジェントリーだった、街を歩く人の格好もパリとは違っていた、学生たちはきちんとブレザーを着ていた、右も左も分からない僕にはやはり気が楽だった、いくらフランス語を何年も勉強して来たとは言え、、、、、やはり学校で6年も英語を習った、それに日本語は英語が日常語化した単語が圧倒的に多くホッとした、気が楽だった、この言葉に尽きた。
その点でフランスは何から何までが日本人には規格外れだった、それは言葉の壁が高かったからなのか、いや、それだけじゃない、日本は英米基準で社会が成り立ってる、フランスは何から何まで規格外れな国だった、せいぜい共通するのはセンチメートルくらいであとは何から何までズレていた、逆にそのズレがフランスのおもしろさなんだけど、、、、、。
当分ロンドンのユースホステルで暮らして部屋を探すことにした、同じ日本人宿泊者でちょうどこれからロンドン生活を始める人に会った、彼はすでに部屋を見つけていた、明日から生活開始する、良かったら見に来ない?と誘われ翌日着いて行った。
ロンドンではアパートとは呼ばずフラットと呼んだ、彼が見つけた部屋は値段の割にはまあ良い物件を見つけたなって思った、見せてもらった印象は広さは日本の8畳くらい、ベット、毛布は備え付け、キッチン食器類は自由に使える、バスシャワーももちろんある、場所はロンドンの中心、queens way ハイドパークのすぐ近く、これで週12ポンド 礼金なし、なかなか悪くない、探してサッと見つかったなら希望が見えてきた。
探し方は外国人の多いEarls cout のスーパーマーケットの入り口には世界各国旅行者、短期留学生向けの情報告知ボードがあった、日本行航空券販売、バイト情報、部屋情報、不用品売買情報、日本語書店、日本食材店情報、日本人以外にも他にヘブライ語、アラブ語、イタリア語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、など、、、、ここに来てこの情報を見たら生活に必要な情報はここで足りた、、、。
当時の1ポンドは480円、円が日に日にうなぎ上りで上昇していた時代では1ポンドは1000円感覚の使い手があった、 逆に日本出国時にすべてドルやポンドに替えた人には最悪だった、替えた時1ドル280円だったのが半年もしたら一気に1ドル250円より安くなっていたんだから冗談じゃない。
あの当時1ポンドは何かと使い勝手があった、それでなんとか食事できた食堂はパラパラあった、Take away 持ち帰りの Fish and tips はもっと安く食べられた、確かバスの初乗りが12ペンス、地下鉄が15ペンスだったかな?公衆電話(赤い電話ボックス)でかけるには銅の2ペンスだった記憶、、、地方に行けばユースホステルの宿泊費は90ペンスくらいだった。
でも最近ロンドンに行ったら物価は大変動していた、パブではFish and tips 1パイントビールで23ポンドもする、物価がたいして変わらないのは日本だけだと外に行く度に痛感する、日本経済は世界から見たら止まっているんだ、、、、、。