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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

撮りたいのはビンではなくて光や湿度や質感です、 

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写真を一通りやっていると、イヤでも耳に聞こえるのが、レンズがいい、写りがいい、きれいに撮れるです、これに関して疑う人がいないくらい優れているのが理想の機材です、それが写真には大事なことで一般の常識です。
台湾の侯孝賢監督の画像はお世辞にもきれいな画像とは言い難いものでした、写っていたのは言葉にはい言い表せない色彩と質感でした、なんと言う心にグイグイと突き刺さる映像なんだろう、もういても立っていられない気持ちでした、僕が探していたのはこの質感だ、僕は候監督の映像美に完全にノックアウトされてしまいました。
今日はこれについて話したいと思います、確かに候監督の映画は画像の粗さを狙って表現したのではなく台湾の当時の映像製作技術が低かったからなのかも知れません。でもある部分ではどこかで意図してたこともなんとなく窺えます。
逆に候監督の映像で最新の映像技術を駆使してきれいに撮れたら僕は興味を持つかといえばちょっと疑問です。僕が写真を修行した過程でしたことは、単純なきれいな画像から離れ、その常識から決別し、自分にとってのきれいな絵柄を探すことに結構エネルギーを使いました。アイドルを撮ってるわけではないので世の中の常識的なきれいな絵柄が欲しいんではなく深い質感やトーンがある深みのあるきれいな画像が欲しかったんです。
これが僕が欲しい世界観だったことに侯孝賢監督の映画に出会ってやっと気がつきました。でもたったこんな単純なことですが、今気がついたから言える話なんです、まだそこに気がつく前はこの感覚はもっと霧の向こうのモヤモヤしたもので、常識から離れ自分の美意識を探すことはなかなか勇気と根気のいるものでした。
質感やトーンを描くことに必ずしも描写性能の良い最新レンズが役に立つとは限らないと思います、問題は質感や色彩感覚の表現力です、この概念は文ではうまく説明ができません、ここ挙げたビンですが、普通のガラスビンを普通に撮ればガラスはガラスっぽくつやつやしか写らず、そこに質感やトーンを写さなければ時間とか空気は写らないです。描きたいのは時間の流れ、場の空気、質感です、きれいな鮮明な画像ではそれを損なうばかりで、何も写らないんです。
これはそのために浜で拾ったビンコレクターから借りて撮りました、これくらいツヤツヤ感が磨耗していないとしっとりしたマットな質感は描けません。
どうしたら質感が写るのか、台湾で古いかすれた風景を探し撮って実験しました、やはり新しい今風の建物ではその質感が写らないんです、最近の日本のマンションのような風景は管理されすぎて汚れやシミがない、何から何まできれいすぎ味がなくて陰影が写らないんです。これでは撮る気になれません。
この陰影とか質感が意図したように撮れるようになってから僕の作品はやっと何かを語り始めました、それは人物であろうが、モノであろうが、風景であろうが、光とモノの質感の捉え方のコツが見えてきました。
それは結果的に、茶道の侘び寂びの感性に通じることかもしれません、日本人の美学、陰影礼賛に通じる美学かもしれません。それが何に通じるかは分からないけど、僕はそれが描きたいことはそれです。
台湾で実験した質感表現がその後の僕の表現の中心になりました。

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