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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

突き抜けること 

今日の話は少し突飛な話に映るかも知れないけど僕はこの仕事を選び、この生き方を選んだ時から、ずーっと指標として一番大事にしていたのは突き抜けた感覚だったな、、、、と思います、以前は、この突き抜けた生き方ってもっと他人ごとみたいに人の話として聞いていたけど、今はもっと自分のこととして考えています。
前に瀬戸内寂聴さんが宇野千代さんの晩年の著作を指して、あの方の晩年の作品はこの世の重荷なんかまったく感じさせない突き抜けた世界が描かれている、と言っていたけど、それを聞いて、もう残された命は長くない覚悟を決めた人が今さら何かに執着したって仕方がない、そんな覚悟が瀬戸内さんの気持ちが伝わってくるいい話だなと思って聞いていました。
突き抜けた世界を感じることって、そういう方々だけの物なんだろうか?現実に突き抜けた生き方なんて本当にあるんだろうか?単なる幻想なんじゃないか?と思ったりもしたこともある、自分がまだ駆け出しだったころ、あの当時ではその存在が大きすぎて雲の上だと思っていた人たちに、今は直接話しする機会があります。
話をする度に思うのが、その方々にまとわり付いたイメージなんて実は自分たちや世の中が相手を勝手に大きく偶像化した部分が多々あって、意外に本人たちはサバサバしていて、気さくで、現実的で、必ずしも僕らからかけ離れた、突き抜けたところで生きてるわけではないと思うことがあり、同じ人間なんだと感じる瞬間です。
自分が思っている突き抜けた人ってなかなか出会えるものじゃない、それは所詮は自分らが勝手に想像した幻だろうかと思うこともあります。

昨日、葉山に住む友人を訪ね古いレコードを聴かせてもらった、彼のコレクションの古いレコードは60年代のジャズとかブルースが多く、古いアンプとスピーカーで低音の響きが利いた音で聞かせてもらうと、そこにはもう60年前のニューヨークの空気が漂います、やはりこれがCDとの違いです、濃厚なバーボンをロックで真昼からちびちびと舐めながら海を眺めては二人でニューヨークの60年代に気分をスリップした時を過ごしました。
こういう音は、、、、今の音楽を仮にこれで聴いてもあまりマッチしない気がします、やはりこのオーディオはこの時代の音を聴くようにできてる気がしました。
彼は20年くらい前、10年間ニューヨークで暮らしていた、現地の生のジャズの空気とか気分とかその世界を多分よく知ってるんだろうな、、、そんな人です、彼の口から、あの時代のミュージシャン、ジョンコルトレーンたちの話が語られた、ミュージシャンたちは自分の命を削るかのようにドラッグや酒に溺れながら音楽を嗜んでいた、夢と現実、矛盾したこの世の中で音楽だけが彼らの生きる術、彼らにとってそれは一種の魔法であり、ドラッグであって、幻想であって、僕らから見たらそれは別世界だった、それは僕らから見れば突き抜けた生き方に感じる。
突き抜けたというとちょっと話が難しくなるけど、それはつまり枠に収まった世界だけではない、すこし別の世界でもモノが見えたり考えられたり、そういう世界感覚の自由な感覚、でも一歩踏み外すとちょっと危なさもあって、それを自分の生き方に出来るヤツを僕はここで突き抜けているって言いたいんですが、、、、、。
それは難しくありながら、目線を変えるだけで一気に突き抜けてしまうこともあるし、ずいぶんつまらないことに固執して生きているんだな、、、、残念ながらそこから一歩もはみ出せないヤツははっぱり何か話しても心が踊らない、だいたい突き抜けるってことは、基準なんかない、今の立ち位置から5センチ突き抜けたって、それはそれで結構だ。
要するにみんなが空気を吸ってる立ち位置、環境、その枠組みから抜け出したところで、全然関係ないところで物を考え、自分の世界の中で生きていて、物を描いたり、空気を吸ってることを指すんだと思う。
9月の1日から、また個展を開きます、過去撮った作品と最近撮ったものと組み合わせ気張らないでやります、作品というのは同じ作品でも自分でも見方を変えられたら見え方は変わるものです、これは撮った自分ですら見せ方を変えるだけで何か発見があったりします。
もうほとんど写真のセレクト、プリント作業は終わっていますが、残された時間に少しでも突き抜けたことを考えた作品になったらいいかなと思いながら作品をまた探します。

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