アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

耽美なフランスのエスプリの写真展(2) 

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昔、さあ、これから写真家になろうと意気込んで名古屋から上京し第一線プロカメラマンに弟子入りして、その感性を目の当たりに触れたいと意気込んでいました。
上京してなんとか夢の一歩は実現し、名古屋にはない大使館が建ち並ぶおしゃれな街、麻布の老舗スタジオに入って撮影現場を毎日見ることができ、彼らの仕事ぶり、雲の上の人を見るような目つきで夢のような毎日を過ごしていました。
今になって、、、、つまりあのころ僕は名古屋から上京し、そこで何を吸収したかったのか?と振り返ると、、、。
もちろんプロの撮影現場を見てプロの仕事の進め方、撮影の仕方、スタジオ照明の仕方、それらを学びたかったのもそうだけど、「自分が立ってるところよりはるかに上の世界でものを考え作品を作り続ける人たちに弟子入りしてその人たちの考えとか生き方とか価値観に触れたかった、つまり僕を刺激するメンターを探していた」そこだったと思う。
上京する前は名古屋でも探せばそれができるか一通り歩いて出会いを探したけど、あの当時、何も知らなかった僕ですら、実際にプロに会って話すと、とにかくがっかりするのが関の山だった、それで名古屋を諦め上京した。
振り返ればもう30年以上の年月が経った、探していた結論を僕なりに言えば、いくら高い技術があっても、そんなのは所詮技術でしかない、もちろん技術を舐めてはいけないのは分かってる、でも本当にいい写真を撮れる人は、やはり技術ではなくその人の心が撮る、意味は良い人間性と言ってるのではない、その人の表現に対する造詣の深さ、表現に対する執着心の強さ、思いの強さ、そこに尽きると思う。
時々世の中で、あの人は弁論大会で優勝した人で話術が優れていると聞くけど、それはどうもおかしな話に聞こえる、 話術なんて所詮はただの話術であって、話の中身がどうかがすべてじゃないかと思う、写真もそうです、撮り方が重要ではなくて何をどう表現したいかが重要なんだと思う。
そこに強い執着心を持っていれば、生き方は必ずそうなります、自分が描きたい世界を自分自身で探します、誰かの価値観を通して表現するとか、誰かがしたことではなく、自分自身の目で物を見て自分が良いと思ったものを真剣に探します、これにハマったら表現はもう真剣勝負です、これがすべてと言っていいくらい真剣です、へそ曲がりで人と違うことがしたいんではなくて、自分の美意識を追求するのはもはや自然の流れです。
そうすれば必然的に価値観は厳しくなります、そこに達していない人は認められなくなります、大衆感覚は受け入れなくなります、多くの人とは付き合いができずその幅が狭くなったり、気難しい人間になったりします、(難しくない人もいます)印象派の画家たちの交友関係を何かの本で読んでも交友関係が透けて見えてきます、やはり画家たちの間でも結構いろんな確執があったの事実を知り、みんなそんなそうやって生きたんだ、、、と思いながら、自分に当てはめて、それもどうなのかな?と思ったりもします。

さてそんな時期を経ていい師匠に運良く出会って、作品を撮ることの究極の秘訣を見せていただいたと思います。
それは、作品制作とはカタチから入らないこと、カタチから入っても構いませんが、根底に描きたい作家の世界観が作品ににじみ出ていなかったらそれはどこまで行ってもそれまで止まりでしかないんです。
根本的におしゃれな人はおしゃれな空気が写真に写るし、エッチな人はエッチな空気が写るし、ロマンチックな人は写真にその世界が写るし、僕はフランスのエスプリがすごく好きだから、多分それが写っていると思っています。(そうは思ってくれない人もたくさんいると思いますが)自分が思ってる世界観、自分が描きたい世界観、それが写真に写るんですから、それが写るように自分自身に集中すべきだと僕は思っています。
逆にそれができなければ、それは所詮誰かのやったことの後を追うだけで終わります。さらに、僕にとっての技術とは、描きたいものをより美しく描くためのもので技術が表現の先を行くことなんか絶対にありえないし、そんな表現なんてなんの意味もないと思っています。

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