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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

透明感のある写真 

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昨日、ギャラリーに旧知の知人女性が訪ねてくれました、名前はくらもとえりこさんといいます。
知人を介して僕の写真展を聞いてわざわざ訪ねてくれました。彼女との縁は彼女はヨガの先生で今から7年くらい前、ヨガで彼女がうちのアトリエを使っていただいた縁で知り合いになりました、それ以降の付き合いは特になかったけど、アトリエを貸す時に数回やりとりした彼女の印象は不思議な透明感と自分の価値観をしっかり持った方の印象でした、久しぶりの再会で感じたのは、やはり今もまったく変わらないまっすぐな目線とピュアな感性を持った方でした。
その彼女が最近写真を始めたそうで、彼女が撮る写真とは一体どんなものか、興味津々で見せてもらいました。
写真のことは何も知らないと彼女は言います、3ヶ月くらい写真のワークショップに通ったそうで、始めはデジカメからスタートしたようですが、今はフィルムカメラ、撮ったネガをスキャンデーター化してインクジェットプリントしたものを見せてもらいました。
何枚か撮った写真を見せてもらい感じたのは、ちょっと見た印象ではそんなに強いインパクトがある写真には思えなかったんですが、それが何枚もペラペラと見て行くうちにグイグイと引き込まれます、それは明らかにピュアーな感性をそのまま絵にしてるように感じるからだと思います。
正直な感想、自分がやってることがとてもつまらないと感じるくらい透明感を感じました、ちょうどその時、東京からの同業の友人が居合わせたので彼にも見てもらったところ、彼はただ唖然とするばかりで一瞬口から言葉が出てきません、そして彼女はバックから取り出した小さな写真集を開いて見せてくれました、別写真がセレクトされていて、最初に見せてくれたものより、こっちの方がずーっといいな、、、と僕は思ったけど僕の好みと主観によるものかも知れません。
友人は彼女に聞きました、「あの、、、、写真を始めて、、、、どれくらいですか?」すると彼女の口からは今年の1月と答えた瞬間、僕と彼は顔を見合わせ唖然とました。デジカメはその1年半くらい前からスタートしたと彼女は言いますが、それにしても写真歴はほんのわずかな期間です。
彼女は多分ヨガ修行で目に見えない感覚を感じ取る感性は鍛えられたと思います、でも他にもヨガの先生に過去何人も会ってきましたが、彼女の印象はちょっと別格だなと思って見ていました、僕はなんとなく感じるんですが、ヨガだけが彼女の感性を研ぎ澄ましたとは思いません、彼女はもともと始めから彼女であったことに変わりはなかった、そんな彼女がヨガを始め写真を始めたに過ぎないと思います。

では、彼女の何がすごいか、まず普通、写真を始める人の99%は誰かの写真を手本として、そこから見よう見まねで写真を始めます、構図の切り取り方、配置の仕方、光の取り入れ方、モチーフ選び方、これら誰かの作風をマネながら自分を模索し、徐々に自分の作風を確立させていく、これが一般にみんなが通る成長法です。
彼女にはそれがまったくなかったとまでは言わない、彼女なりに何か参考にした部分は多分あったと思うんですが、問題はここからです、誰かの手本の撮り方をどう自分に取り込んで、ある程度、自分でも撮れ始めた後、そこから先はどこに行くのか、ここが大きな問題です、大半は撮り方が上手になった時点で、そこで満足しほとんどそこで停滞します、それが大半のパターンです。
そこから先に行ける人、自分自身の方向性、自分自身の世界観、ヴィジョンを模索して、それが形化できるまで「自身の感性が自立してる人」これは本当にごくわずかです、そこにヴィジョンがある人は、誰かに影響された写真に限界を感じその次をさっさと探し始めます、むしろそこから本当の自分表現が始まると思います。
その点、彼女は奇跡的なくらい、その常識からまったく自由でした、少なくとも僕はそう感じました、まるで彼女からすれば僕たちは自由から束縛された存在です、彼女は始めから誰かから撮り方の影響を大きく受けた感じがほとんどしません。
ある意味で彼女は天然なのか最初から自分の撮り方で写真を始めた感じさえします、最初から何が描きたいかがはっきりしていた感じさえ写真から伝わってきます。むしろ自分表現がしたいから写真を始めたんじゃないかな、、、と思いました。
僕の印象では1枚1枚の印象よりも、まとめて何枚も見ていくと「目に見えない何か」が伝わって来る印象を受けました。これは僕自身、何年も何年もやって、自分の限界に壁を感じてやっとそこに気がついたことですが、彼女は最初から無意識にそこに行ってる気がしました。これはまるでルルドの泉のような奇跡に立ち会えた気がしました。
これは自分自身が生き方として自分の感覚をどこまで重視し信頼しているかの大事な問題です、自分の感覚を深く信頼してるか、信頼まで至っていないかの違いです、それはヨガを通して彼女が実感したモノなんでしょうか?またはこういうのは最初から持って生まれたものなんでしょうか?先に書いた通り彼女は持って生まれた感性がそれをさせた気はします。

時々写真をまだ始めたばかりの、駆け出しの方たちの作品を見てほとんどから感じるパターンは、特にプロを目指す人のこの傾向は顕著ですが、誰かの撮り方、手法を自分の作品に取り込み背伸びをして画像を作ります、ところが人から吸収した寄せ集めがまだ自分のものになり切っていない作品はチグハグな印象を受けます。むしろ僕には彼らのほとんどはチグハグな印象ばかり目に付きます。
誰かから影響を受けた部分と受けていない部に差が出て作品印象はどうも変な感じがします、ある部分は妙にマセて突出して、ある部分は駆け出し状態です、それがどうもバランスがよろしくない変な感じでチグハグさが露呈します、まるでそれは幼女が厚化粧をした違和感に近い物です、しかし年月、経験と共に徐々にそれは洗練されチグハグさが削ぎ落とされます。
でもそれは所詮、写真の見せ方が達者になっただけで、表現力が進化したわけじゃないんですが、多くはそこから自分表現の領域まで行けないんです、彼女の写真から不思議に感じたのはそのチグハグさがまったく感じられないんです。多分僕が好感を持ったのはそこだと思います。
それは透き通った清流のような透明感のある写真、多分彼女自身がそこを自覚してるかどうかは知らないけど、彼女の無意識な表現は、、、この透明感が描きたいんだな、、、、と僕なりに勝手に解釈しました。それはどこかからインスピレーションを引き出して撮っている気がしました。
人間にはもともとそういう能力が備わっていて、まさにイデアからイメージを引き出して写真にしてる気がしました、これまで写真をやってきてこんな人には10年にひとり会えるか会えないかの人だと思いがしました。
彼女から感じたのは、表現において何が必要で、何が不必要なのか、そこを見せてもらった気がしました。ついでに言えば 今後自分が進めべき方向性、すべきことと、すべきじゃないことまで見せていただいた気さえします、ちなみに今ちょうど東京の小伝馬町でグループ展をするそうで彼女の作品が見られますので情報を載せます。

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