アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

印象派絵画の理解 

一昨日、友人にある一冊の本を勧めました、本のタイトルは原田マハさんの「ジュベルニーの食卓」という本です。
ジュベルニーとはモネのアトリエのある村の名前で最近東京でモネの展示がありましたが、結局僕はその展示には行かなかった、理由はあの大勢の人ごみの中で静寂なモネに浸る気になれなかったからです。
この本、ジュベルニーの食卓は、モネ、マチス、タンギー爺さん、ドガの裏話が書かれていますが、面白い本なので印象派絵画に興味を持ってる方には是非読んでほしいオススメです、原田マハさんの目の付け所面白く興味をそそります。
印象派絵画は馴染めない方々も多いんではないかと思うんですが、実は僕もカメラマンになる前はまったく興味はなかったし理解のカケラも持っていませんでした、それが家内と付き合い始めて彼女の影響で美術の世界に関心を持ち始めました、持ったというより写真家になりたいなら、それが理解したいと思いました。
始めは図書館で画集を借りたりして、とにかくケツを叩くように理屈抜きに集中して見ていました、そのうち遠かった絵の世界が身近なものに変わり、そこから僕なりに自然に理解できるようになりました。それで今日は印象派の絵の楽しみ方、接し方、読み方をお話しします。

まず最初にお話ししたいのは、印象派絵画はルネサンス絵画(ダビンチ、ミケランジェロなど)と並んで人気がありますが、これらの絵は一般の方々は見られるのは「高価な美術品」という先入観にやられています、その概念が先に立ち絵を楽しむ気持ちを邪魔しています。
なんだってそうですが、実態からかけ離れすぎた大きすぎた存在としてしか見えないと、その物が本来持っていた素朴な良さ、色彩の美しさが分からなくなり、もはや一般人には天文学的な金額の美術品、画家たちは歴史的な偉大なネームバリューを、気楽に楽しめるモノではなくなってしまい、バイアスのかかった目でしか見えなくなり、もはや自分たちの価値基準ではなくなっています。こうなったら印象派絵画はもう自分の目で判断なんてとても敵わない状態に陥っています。
印象派に限らずなんでもそうですが、美術品を嗜む、表現する基本は、まずこの歪みが見せる誤った先入観を取り払って自分の目で見たままのモノ、感じるモノにしましょう。そこから自分の目で発見しましょう、誰かが何を評価した、、誰かの評価に頼るんではなくて自分がいいと思うことだけを頼りにし、感じたことだけを信じます、分からないことを背伸びして分かることなんか不要です、分からないなら分からないままでいいと思います、そのうちに理解が深まりますから自分の感性を信じて待っていればいいと思います。
興味があれば彼らについて書かれた本を読むと理解が深まります、彼らはどうして栄光を得たのか、どんな苦労をしたのか、なにを楽しみにして、何に挫折したのか、それを紐解くと、名声を手にした彼らだってごく普通の人間と同じ挫折や苦労を経験しています。それを知った時、遠かった彼らが身近な存在に変わります、その目線で彼らの絵を見ると、そこにあった世界の見え方がガラッと変わります。
それを実感した時、彼らの見え方はまた違った厚いベールを剥がされた、風通しの良い彼らに変わるはずです。
例えばモネの場合、いくつか逸話がありますが、まずあの代表作品の睡蓮ですが、池に睡蓮の花が咲いている絵と言ってしまえばそこで話が終わりますが、果たしてたったそれだけの話だったのでしょうか?僕が知ってるモネ像だけでもこんな逸話が書けます。
まず、モネがジュベルニーの庭に睡蓮の池を作った時、睡蓮の球根は当時のフランスでは入手が困難な時代で、そこを苦労して調達してあの池を作った、また水をどうやって引き込んだのか?それは近くの小川から水を引いた。
モネは昔、自分のパトロンが破産状態になって逃亡し、残されたその奥さんをモネは引き取ります、最初の奥さんが病死して、その後を後妻として引き取った形になったんですが、自分の子供と後妻の子供で総勢10人家族の大所帯になってしまいました、そこにモネの人柄が見えてきます。
書き出せばまだまだキリがないんですが、このような雑多な裏話がたくさん分かってくると、彼らが人間として生きた喜怒哀楽が見えたり、モネの人柄が見えてきます、それがある程度、感じた上で絵を見ると、モネはたいへんなペースで作作品を量産してたことまで見えてきます、その作品が億単位の値がついていることなど、もうどうでも良くなって一人の画家人生が見えてきます。僕もそこが見えた時、モネに興味を持ちました。
そこに人としての弱さや迷いもまたたいへんな努力家であったことも含めて生々しく見えてきました、またモネが作品に何を描きたかったのか自分なりに見えて来ました。そういう眼差しが育つと、世の中で騒がれている価値基準に対し世の中が付着させた尾びれと作品は別物に見えてきます。
多分、そういう目線を養いたかった動機は僕自身、写真家としての生き方にそのままスライドできました、結局ここで言える結論は、普遍的な絶対性はあるようで所詮は基準なんてあってないようなものです、究極は各自がどう感じるのか、どう見るのか?所詮はそれしかないんではないかと感じたのが僕の結論です、モネの最盛期はとにかく美しい色彩と世界観が描けていたと思います。それが僕のモネの印象です。

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