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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

対象物に迫ること 

最近、写真をどう捉えるのかワークショップで指導しているのでそれについてお話しします。
これまで何人かに写真について、その捉え方の入り口、きっかけについてワークショップで指導してきました、これまで会ってきたほんとんどの方に共通する壁があります、どうしたらカッコいい写真が撮れるようになるか、そのきっかけをつかむのに苦労しています。
それで受講者さんから感じるのは、どこでどんな風につまずくのか、どうしてそこが思うように超えられないのか、その壁についてお話しします。
まず最初に結論から言えば、本質的な物事を解決したい場合、どうすれば解決するのか、方法論なんてそもそもない、という考えからスタートした方が早いと思います。つまりあれこれやって探すしか道はない、カギは対象物に迫る意欲があるか、ないか、そう考えるべきで僕らにできることには限度があります、できることは自分が辿った経験をお話しすることか、その手助けをする、それくらいしできないです。
それを前提にお話ししますと、日常生活で使う神経、思考、感覚、これらは写真を撮ることとは関係ない神経を使って生活しています、表現に必要な神経とは、目で見えない、手でつかめない、五感以外の感覚世界です、それを自由に扱える人を感覚が鋭い人と言います。
この写真の神経は現実的な日常感覚からは遠い感覚なので普通は分からない、理解できない、そんなこと考えたこともない、扱い方がわからないのは当然のことでしょう。
まず、ボクがみなさんから共通して感じるのは、そこがよく分かっていない気がします、表現の神経はどこでなされるのか?その表現のツボが分かっていない、アタマで考えたことが表現になるとどこかで思っていますが、それが間違いです。
その考えはまず白紙にしなくてはなりません、アタマで考えたことからいよいよ撮る時になった時、アタマが出すゴーサインは表現にとってはジャマでしかない、そう思わないとモノは写りません、まずその認識があるか、ないか、で出発点、動き方が変わります。
モノを撮ろうとする時に対象物を探すときは、アタマの思考、現実的な思考は、情報を探す思考回路としては役に立ちます、ところが、いよいよ撮ろうとカメラを向けた時は、もうその思考は終わり感覚に切り替えます。
それをなんと説明すればいいのでしょう?目で見てアタマでモノを見てる段階では、対象物とその人の間に夾雑物が存在しています、つまりモノと自分との間に距離があり、よそよそしい関係です、それが自分の感覚の琴線に触れた瞬間、対象物と自分の間に言葉にならない繋がり、心が対象物に入り込む、ある種の関係、それが写真に写る瞬間とでも言えばいいのか。
それは撮り手が対象物から何か不可思議な何かを見つけ、引き出す、そんなスパークの瞬間が生まれます、それが決定的であれば写るし、それがなければ写らない、写真が写るとは、その原理が感覚で理解できていないとどこにもいけないと思うんです。

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