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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

みんながみんな同じ感じ方をするわけではない、 

アトリエ水平線ではワークショップとして定期的に写真を教えています、最近一人の方を集中して関わって教え、そこで教えるとは一体なんなのか?そこを根本的に考えさせられたことがありそれについて書きます。
まずはじめに、今回、僕が教えようとしてることは難しい込み入った話ではありません、モノが撮れる一瞬のきっかけについてです、その方がこれまで写真をずーっとやって来て、そこに越えたくても越えられない壁を抱えていることを前々から話に聞いていました、僕が察するに本人はそこに悩んでいるようなので、超える「きっかけ」を作ってあげたいと思い集中して関わりはじめました。
これは僕にしたらほんの些細なことで越えられずに悩んでいると感じることばかりで、まずはきっかけさえ感じたら先が見えてくると思い何回かレッスンをしました、ところが、その方の口から出たこれまでの写真との関係をあれこれ聞くうちに何か感じるものがあり、それは自分が感じてきた写真とはまったく違う別の「何か」を、ふっと感じ、ひょっとするとこれは自分がまったく知らない感覚ではないか、と感じました。
その人の口から何気に出て来た話は「写真学校に行って習って返って写真が苦しくなった、むしろ学校に行く前に気ままにカメラを持って歩いていた方が楽しかった。」
話を聞いていてなんだか分かる気がします、逆にこの話から感じたのはこの方の立ち位置は二つの立場の狭間で彷徨ってるとも言えます、それがこの方が壁を越えられない理由なのかもしれないと感じました、同時に僕が教えてきた、教える側の考えにも疑問を感じました、教えること、教えられることって何なんだろうか?
写真が撮れるか、撮れないかは、表現したい動機があるか、ないか、そこ次第だと思います、これがなければ何をしても撮れない、これが心に残る写真と残らない写真の分かれ道です、巧さ、テクニックなんて後からいくらでもなんとでもなります、要はこの動機がすべてです、写真に対する切実な動機がなかったらいかに素晴らしいテクニックがあっても何も写らない、写真とはすべて心から湧き上がる動機次第です、写真とはそういうものだとずーっと思って来ました。
でも僕が冒頭に書いたことは、そんな難しい話ではなく簡単なことです、アタマで撮るか、心で撮るか、その些細なきっかけ作りを応援しようと関わってきました。
ここはどうしても越えてもらいたいと思って教える場合、相手に今まで以上に接近し圧力を上げ細かいことに手厳しく教えます、場合によっては押し付けたり否定したりややナーバスになって教えます。どうしても越えられないのはこれまで身につけて来たやり方の流れがあるから身に付かないのです、どこかでその流れを少し変えないとなかなか変われません。
しかし、やりとりをするうちにこれまでの自分の考えに疑問を感じました、教えるって何なんだろうう?人に教えられることって何なんだろうか?せいぜいできることは目の前でやって見せるくらい、それくらいしかできないのか?
前から感じていました、教えるってことは一体どこまで踏み込めば良いのか?ある意味で、相手に自由にやって下さい、と言うやり方は返って相手を惑わせるばかりで、こちらがセッティングしないと話が進展しないことが多い、かと言って、こちらの考え、やり方だけもどうかと思う。
そこで僕はふっと感じました、こんな風に思ったのは初めてですが、写真を学校で習って写真をするとは、誰もある一定の進化、より良い写真が撮れるようになることが目標でやってると思っていました、これはハッキリしたもの、これは疑いようのない共通の思いとずーっと思い込んで来ましたが、果たして本当にそうだったのだろうか?と、今回のレッスンを通して思い始めました。
つまり特にこれと言った写真に目標があるわけでもない、とにかくカメラを持ってどこかを歩く、気ままに目についたものを気ままに撮る、何をどう撮るかではなく、目についたものを何気に撮る、そこに意味を持ち込むと返って心の荷が重くなるばかりで、カメラを持った散歩だけでも楽しい、何も撮らないまま帰ることだって楽しい、そんなあり方を楽しめる人だってこの世にはいるんじゃないかと感じた一瞬でした。
その人の発言はそう言う曖昧な無目的な写真のあり方の方が個性として合ってるのかも知れないかな、、、、、と感じた一瞬でした、もしそうなら、これは僕がまったくしらなかった写真のあり方なのかも知れない。
以前、うちに来た客人のひとり、せっかく海に来たからサーフィンがしたいと言った、ボードを持って浜に出てサーフィン体験させた、でもその日は乗れそうな波なんてまったくなくサーフィンをする日じゃなかった、当然結果はただの一回も波を取れず、ただ海の上でボードでプカプカ浮かんだだけで終わった、彼は東京に帰って「オレ、サーフィンやったぞ、、、」と喜んでみんなに話していたと人から聞いた。
それを聞いた時、僕は彼が喜んでいた意味がまったくわからなかった、サーフィンするからには少しでも波を取ろうするのが当たり前で、波が取れずに終わったなら、今度は波を取ってみたい、次回はその準備をして出直すのが普通だと思っていたけど、どうやら、みんながそうとは限らない、人はもっといろんな感じ方をする奴がいるんだと思いました。
つまり話をここでまとめると、僕が今回写真を教えた方は、自分自身でもそこは越えたい気持ちと、同時になんとなく写真に関わる気持ちの狭間に立っていて自分自身でも本当のところどっちに立っているのか、そこからどうすればいいのか、自分はどうしたいのか、それは当人ですら分からない、でもそれはそれでその人の個性のあり方なのかな、、、と感じました。

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