アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

僕が撮っている時、その気持ち、 

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最近、人にあれこれ教えた翌日、自分一人でユリに向き合って撮ってみました。
やはり誰かに教えるんではなく自分一人世界に入って向き合うとは何かが違います、かたちの良さそうなユリを探したり、枯れ果てたユリを見て、そこから何ができるのか、、、、、とイメージします、その時ふっと、こんな感じに行けるかな?と撮影台に置いてみましたところ、あ、これなら行けそうかな、、、、、ときました。
その瞬間、もう意識はこっちじゃなくて、すでにあっちに側に片足突っ込んでいます、このああこれだ、、、と言う気持ちがすごく大事です、これがなければ撮っていても仕方がないくらいです、僕の場合は、、、。
さらに入り込むと片足だけじゃなく意識はあっちにいます、そうそうこの気分だと久しぶりに感じました、この感覚がないと何も始まらない、アタマで考えたことを撮っても仕方がない、どこにも行けない、やればやるほど空虚感が自分にやってくる。
最近あれこれ人に教えましたが、教えている時はこの感覚はない、出来ることなら取り出してこれですよ、とみせてあげたいくらいだけどそれは叶わない、でも何かを撮るとはどうしてもこの感覚を知ってもらわないと始まらない気はします、なんとか思い出してほしいと願いながら説明します。
でもそんなに難しい感覚ではない、、、、と思います、ただ昔感じてた気持ちを引き出してほしいと思うのですが、大人になると、理屈で物を考えすぎるからか、これは生まれ持った物だからか誰もが普通に当たり前に、この感覚を引き出したり感じられる感覚ではないのかな?と脳の検査を受けてから考え始めました。
撮影はさらに進みます、まずそれをデジカメで撮ってパソコンで開きモノクロに換えて画像を調整します、すると目で見た物から、向かおうとする世界に徐々に近づいて行ってるのが感じられます、そこで見えるのはもう今そこに置かれた枯れたユリではなく、僕が描こうとしてるユリになって行こうとしています。
もちろんまだまだ絵は十分にできていないけどスイッチが入るウォーミングアップとして悪くない手応えです、この時すでに、意識は自分の想像世界に入り込んで日常の感覚とは少し違います、マジな作品作りとはこれがさらにどんどん深く奥に入っていくことです、文で書くと大げさになりますが、確実にスイッチが入りかけた状態は間違いないです、このスイッチ状態(悦楽)にならないと写真はどこまで行ってもアタマで撮った物でしかなく人の心を魅了する力はない、この瞬間にマジックは生まれるんです。
でもこれはできる人とできない人がいるんだ、、、、と感じました、ここで才能の差別がしたいんではなくて、人に教えられることと教えられない現実を感じます。

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