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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

僕だって見えるわけじゃない、感覚の環境設定を知ってるんです、 

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秋の個展を機に、また久しぶりにユリに向き合い始めました。
これはモネが睡蓮を何枚も延々に繰り返し描いたことと似ていて、そこで1枚良いものを撮ろうという考えとは少し違い、自分はここから次はどこに行くのか、その入り口から模索するのはとても重要だと思います。
もし写真を撮りたいが入り口が分からずカタチばかりに毎回終始してるなら毎回カタチ作業ばかりにエネルギーの大半を消費に終始します、それではとても感覚どころじゃない、それもしないわけには行かないけど、どこかでは羽を休める場が欲しい、カタチ探しに追われていだけなら感覚は延々と遠くいつまでも自分のモノにならない。
写真を撮ることは二つの作業感覚が必要です、一つは物理的に作業する感覚です、モノが撮れるところまでカタチをセッティングする作業です、ここでは物質的スキルを使う場所で、言い換えればここではいくら何をしようが物質世界しか環境設定出来ませんし、ここでモノが写るわけではないです。
さていよいよ撮れる、、、と手応えを感じ始めた辺りから物質設定から意識の思考にスイッチしますが、ここはとても重要な分かれ道です。
作品が物足らない、世界観がない、上手な写真だけどつまらない写真、この問題点はまさにすべてここにあります、ここから意識世界に入れずカタチしか見えていない、意識世界が捉えていない、これは物質作業に終始してるだけで感覚世界の遊びがなく、早い話、ダシが取れていないスープと同じで具はあっても味がないスープです。
ワインでもビールでも料理でも同じですが、味に隠されたボディー(コク)がなければ味も深みもなく、人の心を魅了する作品にはならないということです。
物質セッティングと意識セッティングは使う神経がまったく別です、ここは十分に理解しておく必要があります、このスイッチの切り替えが分からないとどこまで行っても、どんなテクを使おうが、それはカタチに過ぎない、僕にはどうしてそこが分からないのか不思議で仕方がない、それが分からない人は意外に多くそこそこのプロカメラマンですら分からない人はたくさんいます。
さて、そんな経緯でユリは過去経験から撮影の環境設定はわかっています、環境が整えばあとはどんどん迷路の中に入れます、余分な神経はもう使わずに気ままに自由に入れます、これから写真を撮るためのウォーミングアップとしてもいいです、やっているうちにちょっとしたきっかけでまさかに出会います、その瞬間キラリときた物を逃さず撮れば良いだけのことです。
写真がまだ発展途上の方々は僕らを感性のウィザード(魔法使い)、モノが見えていて何かに出会ったら逃さずにさっと撮る能力が優れていると思い込んでいるいる人が大勢がいます、「いいえ、それは間違いで幻想です、」たぶん大御所写真家ですらそんなの見えていないと思います、僕らは見えないモノを如何にしたら見えるようにさせるのか、その環境設定の論理思考が長けていると言った方がとても正しいと思います。
つまり見えないモノを少しでも引き寄せ見えるように環境を設定する、その組み立て思考が人より明白に見えています、その組み立て過程をやらないでモノを一気に見るなんて多分誰だって出来ないと思います、見えるように見えるように、段階を踏んで的を絞って見えるように環境設定する、その結果として物は写るんです、都合の良い魔法はこの世にありません。
さて話はもとに戻って、僕にとってその入り口の一つがユリです、とにかくユリをあれこれ撮ってみます、撮る時間帯を変えたり、光りの角度や質を変えたり、あれこれ考えられることを一個一個やってみる、とにかく根気よく続けていくうちに必ず何かに出会います、その見えた瞬間を逃さずきちんと本番を撮るだけの話です、これは発掘調査みたいなモノで摩訶不思議な謎解きなんて一つもありません。
ただ僕にあるのは、やっていればそのうちに必ず何かおもしろい世界に行く確信があることと、やっているうちにキラッと見えた瞬間が必ずありその瞬間を絶対に逃さないこと、探すこと自体を楽しめる、もしみなさんと僕の感性に何か大きな違いがあるとすればその環境設定の思考力と自分の環境設定に対する確信でしょう。
そして今回やって行くうちにふっと閃いたのは、ユリをいろんな撮り方をすることで、いろんな人間の感情を写しこんで見ようかと思いました。

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