アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

中学時代のスパースター 

世の中には絵は描ける、ピアノは上手く弾けるが、算数の掛け算、割り算が覚えられない、そんな個性がたしかにいます、僕なんかもその一人で要するにあれはすごくできるけど、これはできない、得意不得意がフラットじゃなく落差がある個性です。
こういう人は常識的な会社ではあまり歓迎されないタイプ、上手く才能を活かす個性に合った働きの場を見つけないと本当に辛い人生を歩くことになります、以前、発達障害の本で見つけたのはアメリカの統計で発達障害者の犯罪率、離婚率、離職率は一般人に比べてやはり高い数字が出てるそうです。

僕は学校時代はまるで勉強ができなかった、基本的に知能指数が低いわけじゃないし、勉強だってそんなに嫌いじゃなかったけど、なぜか学校の授業が、勉強が好きになれなかった、家族はわりに勉強ができる家系だったけど僕一人がなぜかそうだった、これは僕にとって心に傷を背負い子供ながらに結構苦しんだ「どうして僕だけが?」と一人で悶々と悩んだ、このころからまだ発達障害という単語の認識はないけど薄々そんな存在は間違いなくいると感じ始めていた。
学校で勉強ができないのは、ただ勉強が苦手な子だけの話では終わらない、子どもにとって学校という場は子ども自身が自分を自覚する社会そのものです、運動ができるか、勉強ができるか、学校ではこれくらいしか自分をアピールするチャンスがない、早い話がそこで結果が出なかったら負け組気分をずーっと味わい続けます。
これが何年も続けば自然にネガティブな気分を心に刷り込みます、ある程度普通にできていればそんなこと気にもしないだろうけど、僕にとってはこれは結構キツイことで笑い事じゃなかった。
でも幸いに学校にはおもしろい出会いもあるもので、僕はNというヤツに出会った、彼は学校嫌いの僕にとっては救世主だった、Nとは小学校時代から付き合いはあったが中学に入ってグッと近づき親しくなった、学校生活でなんの自信もなかった僕はNから自分の隠れた才能を引き出してもらった、多感な時期友だちにメンターがいるかいないかで人生がそのものが大きく変わると思う、僕はNのおかげで今の僕があると確信してる。
Nは学校の成績は飛び抜けて良かった、彼は勉強との付き合い方をよく知っていたし良い成績を取ることくらいワケがなかった、習ったところの教科書をさーっと目を通すだけで内容はほぼ吸収できるアタマの持ち主だった、これは勉強嫌いの僕にとって魔法使いのようだった。
彼のアタマはコピー機みたいで、センサーが本の上を通過すればそこに書かれた情報を瞬時に読み取れるアタマだった、中学にもなれば受験戦争の始まり、テストが終わると必死なヤツらはテストの結果の話題で持ち切りになったが、彼はいつもそんなの関係なくどこ吹く風でただ涼しい顔で1mmも興味がなかった、しかし彼の成績学年順位は毎回2位が不動の位置だった、1位はどこにでもいるような優等生で、生徒会長、野球部ピッチャー、すべて1位、つまり絵に描いたような根っからの優秀なヤツ。
Nは彼らと一切交流しなかった、学校中のみんなはNを一目置いたが、Nは彼らにまったく興味はなく僕に興味を持ってくれた、そして僕らはすごく親しい関係でいつも一緒にいた。
Nは単に成績が良いで終わるヤツではなく物事の思考感覚がとにかくスマートだった、物事を見る眼差し、洞察力、パッと閃く直感力がとにかく鋭かった、彼と話して感じたのは、要するに何がおもしろいことか、何がカッコイイのか、彼と一緒にいるといつもそういう気分にさせられた。
多分僕は彼からアタマの使い方、物事の思考法を吸収していたと思う、彼はあの当時の僕にとってのメンターだったが、彼に言わせると逆に僕から刺激をもらっていたと言う、彼にとって僕の感覚がすごく刺激的でおもしろかったらしく退屈な学校で僕と一緒にいて鬱憤を紛らしていたと後日彼から聞いた。

彼は中学の後半くらいからロックに突然ハマってドラムを始めた、親は金銭的に裕福だった、彼が欲しいものは高価な物だろうが惜しげもなく買い与えた、そして彼は高価なドラムセットを買ってもらい持ち前のカンの良さで一瞬にして中学生にしては並外れたセンスとテクニックをマスターした、その辺りも学校のクラスメートから一目が置かれ、文化祭で是非みんなの前でドラムを演奏して欲しいとお願いされたが彼はそれをあっさり断った、なんで断った?と聞くと自分と趣味が合わないから、と言った。
中学3年の夏休み辺りから、Nは突然、勉強に興味を失った、切り替えは見事なくらいである日突然、線が切れたように勉強をしなくなった、どうしてそうなったのか?と聞くと、もともと勉強なんか少しも興味なかったけど親父がうるさかったからやってただけ、それに平均90点取れば何でも買ってくれると言うから釣られてやっただけ、、、とあっさり言った。
僕にはその感覚が信じられなかった、僕なんか何をしようが、どうしようが、できない物はできなかった、彼と僕はまったくアタマの構造が違うと思った。
それから彼はまるで滑り台からすべり落ちるように成績は下降線をたどった、でもなんとか名古屋の公立のまあまあの高校に入った、でも高校入学後も相変わらず勉強はしなく、成績はさらに下降線を下って、大学受験は名古屋で最低ラインの私立大学に入って1年ちょっとで大学はついに辞めた。
父親は期待の息子が一気に脱落し失意のどん底で彼に激しく怒ったそうだ、脱落の原因は僕のようなヤツと付き合っておかしな影響を受けてそうなったと僕らを目の仇にした、彼の家には出入り禁止、電話連絡も禁止になった、それについて彼は僕にこう話した、僕は今まで親父の操り人形だった、ただ親父の言いなりになって良い成績を取れば、欲しいものを何でも買ってもらえた、僕は親父の意のままに生きてきた、それがそのうちに厭き厭きしてもう勉強する気にならなくなったと話してくれた。
彼はこれをやれと人に言われれば操り人形だろうが並外れた結果が出せるヤツだった、感覚的にも鳥肌が立つ飛び抜けた能力を持っていた、アーティストを志せば間違いなくなれたと思うが、ただ自分の意思でこれがしたいと自主的に考え、自分で行動し物事を設計して構築する、何があってもこれは絶対にやってやる、みたいな貪欲な気持ちがまるでなかった、自主行動が得意ではないタイプだと思う。
彼はどうしてそうなったのか?父親との関係がそうさせたのか、またはもともと彼はそういう個性を持っていたのか?このタイプは僕とは違うけど、どこかで発達障害のようなヤツだと思う、これはできる、これはできない、その落差が激しいタイプに感じた、多分、僕らは中学時代、言葉を超えたシンパシーをお互いに感じ合っていたと今になって思う、彼は類まれな才能の持ち主には間違いないけど彼はそれを自分で開花させられなかった気がした。

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