アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

モノが見えている(3) 

モノが見えている、この結論はどうも理屈では説明できることじゃないですね、やっぱり、、、。
分かる人は説明なくても分かるし、分からない人はいくら説明したところでやはり分からないのかな?そこに行ける人と行けない人に分かれてしまうのかな?って気がしてきました、これは生まれ持った体質とか子供時代の育ち方にあるかと思います。
写真学校に行った人の話によれば、写真学校では作品を作る時、始めにステ−トメントを書くことから始まると聞きました、始めは「まあそれが妥当で筋だろう」と思っていましたが、最近はその教育に疑問を感じます、果たして本当にステートメントを書くことが本当に効果的なのかと思います、作品レベルが作れる人なんて写真学校の生徒たちで果たしてどれだけいますかね?ほんの一握り程度か、もしくはほとんどいないか、作品を作ることはそれくらいむずかしいことです。
わざわざそんな枠組みを生徒相手に無理に押し付けたところでかえって難しく捉えたり、萎縮して身動きが取れなくなったり、無意味な背伸びしたり、撮れるモノが撮れなくなってしまう、それはかえって逆効果とさえ思います、学校には悪いけど無意味にハードルを高くして偉そうに教える方が立派そうに見えて授業料が取れるから、そう思えて仕方がないです。
僕自身、駆け出し時代を思い出すとまったく撮れなくなって身動きが取れない期間が結構長くありました、アマチュア時代は気軽に何を撮っても楽しかったけど、それが写真環境に入った途端、一気に変わりました、そこにいるみんながずいぶん分かったようなことを口にするのは日常茶飯事です。
こうしなくちゃダメだ、こんな写真を撮るヤツはダサい、誰かの受け売りは当たり前、実態の伴わない背伸び、口先ばかりが先行し、そんな連中の雑音に囲まれると写真の耳年増(みみとしま)に陥りいつの間にか身動きがまったく取れなくなって写真を撮ることが分からなくなります、そういう環境は駆け出し時代では良い意味でも悪い意味でもかなり影響力があります。
助手、写真学校の生徒、アシスタントたちは一度はみんなこの沼にどっぷりハマるんじゃないですか?そのバカらしさに気がついて自力でなんとか脱皮しそこから自由になれたヤツだけがブレずに自分の感性を信じられるようにやっとなるんです、まだアマチュアに毛の生えた程度の写真学校生徒相手に、ステートメント指導する先生は自由に撮れない生徒たちの現実がよく分かっていない気がします。
もっと彼らの程度に合わせてレベルを下げないと彼らが払った高い授業料は無駄になるばかりと思います、またはそれが学校方針で先生たちも矛盾を感じながら仕方なくそうしてるのかも知れない、、、、。

自由に自分が感じたまま撮れるということ、つまり自分の思考をそのまま自由に写真という体系に置き換え、それが作品レベルまでに仕上げられるという行為は、今になって振り返るとこれはなかなかできるものじゃないと思います、そこらの安っぽいプロではカンタンにできないんじゃないですか?
それなりに相当な熱意と長い迷いの時期を経てなんとか脱皮し自分の感性を引き出しそれが唯一の頼りなんだ、それが深く実感できた人か、次の体験した人か、大雑把に言えばこの二つの個性だけが作品を作れるんじゃないかと最近思います。
これは僕が子供時代に出会った友人の例ですが、昔僕は子供のころ、それなりに図工が得意でプラモデル作りもそこそこにハマった子供時代を送りました、ところが中学に入ってあるプラモ好きなヤツに出会って、自分のこれまでの自負は一気にひっくり返されました。
彼はタミヤの戦車作りとそのジオラマ作りにハマっていました、その完成度レベルは全国区レベルだったと思います、毎月発刊するタミヤニュースには彼の撮ったプラモデルとそのジオラマ風景写真は掲載誌の常連で、その世界観、完成度、何から何まで中学生とはとても信じられないレベルでした。
彼のやっていたことは、プラモデル戦車と周辺の兵隊人形作りでした、戦車がジャングルを徘徊しその周りの兵隊たちの戦闘態勢ジオラマ風景をどこかの空き地を上手く使って撮っていました、時には水たまりも上手く利用し、そこに戦車を置いて銃を持った兵隊も胸まで水に浸かっていたり、さらにテグスで引っ張って戦車の動く波紋まで演出したり、ちょっと信じられない工夫をして撮っていました。
彼は戦車を作る時は単に塗装するのではなく一度下塗りをして、その上から別の色を塗り重ね、それをセロテープを一旦貼って、引き剥がして上塗りをところどころ剥がして下地を出し戦車の塗装劣化具合を演出したり、兵隊人形は熱で形を変えるとか、その手の入れ方は半端じゃないレベルでした、どうやってそんな発想とテクニックを覚えたのかと聞けばやはり今とは時代が違って情報なんかない時代です。
彼が通った模型屋の店主に聞いたり、有名店のウインドーに飾られた模型を研究したり、自分なりに何度も失敗を重ねて追求した結果だと僕に話してくれた、でもその追求レベルは、今にして思えば、これはもう生まれ持った才能と執念としか言いようがないものでした。
少年期にこういう体験をしたヤツは何かを追求する要点はすでに少年期に実習を重ねているのでそのツボはもう体が知っています、子供時代にそういう夢中になった時間を経たか、どうか、これは大変な差が出ると思います、まあ簡単に言えば子供時代に時間を忘れるくらい夢中な遊び、官能的な遊びを体験してきたか、しなかったかは、これは大人になって差が出ると思います、ましてそれが職業になったら大変なハンディーでありアドバンテージじゃないかと思います。
さらにその意味を理解してる親、理解していない親、どっちの親に育てられるか、これも大きな運命の分かれ道じゃないかと思います。
要するにイメージが見えているとは、そんなにむずかしい話ではなくてこういうことだと思います。

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