アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

長崎から来た転校生 

小学校の3年生ころだった記憶しています、ある日クラスに一人転校生が入って来ました、名前は松田君と言い、彼は九州の長崎から転校して来て言葉は僕らとちょっと違う訛りで話すヤツでした。
僕には初めて転校生がやって来た体験でした、転校生とは当たり前ですが他所から来た人です。
彼は遠い九州から引っ越して来たから話すことばも違うし雰囲気もクラスの中では風変わりな感じがしました、まだクラスに友達もいない彼が一人で何気に外を見てる時、僕にはちょっと不可思議な”憂い”のようなものを彼に感じました、そんな彼に僕は興味を持って最初に話しかけたのは僕だったと思います。
僕たちはすぐに気が合いよく遊ぶ関係になりました、性格は個性的とかクセはなかった、むしろ人懐っこい性格だったけどクラスの空気とはちょっとズレみたいなものを感じた、それがみんなには違和感だったのかあまり彼に積極的に近寄らなかった、でも僕にはそれが彼の面白味、魅力に感じた、むしろ僕はクラスの連中が物足らないくらいに感じていた。

当時名古屋の僕の近所では”カタ”と呼ばれた遊びが密かに流行っていました、少し説明すると、ちょっと紙芝居屋に似た商売といえば良いのか、オジさんが近くの広場に自転車でやって来てその場で小さな店を広げます、そこに子供達が集まってカタ遊びをします。
その遊び方は石膏で出来たレリーフのカタに粘土を押し込み、次にカタから粘土を引き剥がしレリーフが出来上がります、テレビのヒーローとかが多かったけどモチーフは他にも様々あった、要は粘土のレリーフなんですが、出来たレリーフに綿棒みたいな棒で色の染料粉を上手く塗って完成です。
完成品をカタ屋のオジさんところに持って行きオジさんはその出来具合を評価をし点数カードをくれます、出来が良ければ点数は高く、手抜きしたり雑な作りは点数が低い、またカタサイズは大きい方が粘土も色粉も多く使うので点数は高くつきます、それを子供たちは広場で各々の場所で口も聞かず黙々と集中してやります。
素材や道具はオジさんから買い、もらった点数カードは品物の引換券になります、完成品を見せてカードをもらった時点でオジさんがその場で粘土を潰します、潰した粘土でまた次のカタ取りをします、僕らは点数を集めて新らしいカタ、粘土、染料粉に引き換えて道具を増やしますが、基本的にはカードで品物をもらうより買う方が圧倒的に多く、オジさんはそれで商売をして儲ける仕組みがカタ屋です。
今思うと昭和の頃は子供たちの小銭を目当てに商売でなんとか生活してた人もパラパラいました、なんだかのどかと言うか、貧しかったと言うか、今のせせこましい時代とはやはり時代感覚の違いを感じます。
その遊びはカタをたくさん持っていれば、それだけ遊び範囲が広がるから、僕とマッチャンは道具を一緒に共有していつも一緒に遊んでいました、彼は遠くから引っ越してきた転校生だからまだ馴染めないのか、クラスの空気に馴染めないのか、僕以外の付き合いはそんなになかったみたいでした、また僕は僕で広く付き合いができなかったから二人はいつも一緒に遊んでいた、時々彼の家に行ってマッチャンの兄弟とも遊んだりした。
彼は慢性の喘息持ちだった、あまり風の吹きさらしの寒い外で遊ぶのは体に良くない、カタなんかやっちゃダメだと親に言われると話してくれた、マッチャンは咳が出て止まらないことが時々あった、その時スプレーみたいなものをポケットから出しては苦しそうにしながら口に当ててその場をしのいでいた、僕はまだ子供だったからそれが何を意味するのかまったく分かっていなかった。
そんな関係が1年くらい続いた、いつものように学校でふざけ合って学校から帰り道で「じゃあ月曜日な、、、」と土曜日の昼、彼と別れた、そして二日後の月曜の朝、彼は珍しく学校に来なかった、どうしたんだろう?と思っていたら、朝先生もなかなか教室に来ない、ちょっと遅れて来たかと思ったら何か雰囲気がいつもと違っておかしい。
先生が「今日はみなさんに悲しい知らせがあります、松田くんが今日の朝早く死んでしまいました、、、、ここで一同黙祷を捧げたいと思います、、、、」僕はびっくりした、おとといまであいつと戯れていたばかりなのに、エッ?なんで、、、?と思って涙が自然にこみ上げて来た、、、あまりにも突然でなんともその事実が受け入れられず言葉が出ない、、、。
翌日、彼の家で葬儀が行われた、僕らクラス全員、先生の引率でマッチャンの家の前まで行って一列に並んだ、先生がクラス代表として学級委員男女2名を連れて彼の家に焼香に入って行った、その後ろ姿を見て、エッ?どうして、、、? なんで学級委員が行くわけ?あいつらマッチャンと友達でもなかったし、、、なんで友達が入れなくて、そうじゃないヤツが入れるのか、僕にはどうしても腑に落ちなかった。
「この中で松田と親しかったヤツ、松田に最後の別れをしたいヤツはいるか?いたら手を上げろ」たったこれだけのことがどうして先生の口から出ないのか、僕はそれが信じられなかった。
僕は焼香したかったワケじゃない、マッチャンが突然死んじゃったことがどうしてもまだ信じられなかった、この目で祭壇の写真と棺桶を見ないワケには行かなかった、そうじゃないと彼が死んだことがまだ受け入れられなかった、でも先生は学級委員だけ連れて行った、、、、、すごく悔しい思い、無念な思い、理不尽な思いがまとめてした、先生の判断は今風に言えばすごく無神経だ!と子供ながらに思った。
彼が死んで時間が少し経ってやっと気がついた、時々彼が外を見る時の淋しそうな”憂い”の表情は彼なりに喘息で自分はいつか死んじゃうのか、、、それが分かっていたのかな、、、と後で分かった、多分あいつなりに怖かったんだろうな、、、、それを敢えて口に出して言わなかったけど、そんな気がした、そう感じたことはいくつか思い当たる、そう思うととてもいたたまれない思いになった。
オイ、マッチャン、アンタはたった10歳ちょっとで死んじゃったけど僕はあれから50年も生きたよ、でも50年前のマッチャンのことは一度も忘れなかったよ、、、いつまでも子供のままのマッチャン。

追記、不思議なものでこれを書いたら50年も前のことにまた涙がこみ上げてきた。

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