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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

遊び心のステーショナリー指南 

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日本はしっかりした文化のある国に間違いはないけど、やはりステーショナリーつまり文具用品に関しては欧米のステーショナリー文化に触れてしまうと日本の文具用品の底の浅さをやはり痛感せざるを得ないです、でもここで日本の文化の足らなさの文句が言いたいんではないんですが、本場はやはりステーショナリーの歴史文化が日本とは比較にならないくらい違うんだな〜と感じます、今日は僕が感じる一端をお話します。
昨年の12月22日に「万年筆にハマる」で万年筆とノートにハマった経緯を書きました、興味ある方はバックナンバーを読んでいただけたらと思います、だいたい僕は勉強なんかしなかったからステーショナリーについて偉そうに書けないんですが、英語勉強から実感したことです、やはり何か勉強を楽しんでするからにはステーショナリーはいいものを持つのはいいことだと思います。

その前に少し触れたいのは高校生のころフランス語を真剣に勉強していました、ひょんな経緯でフランスの女子高生とフランス語で文通していました、はるばるフランスから送られた手紙、その文化の大きな差にまだ若かった僕にとってかなりショックを受けました。
あの当時はまだ70年代半ばです、日本円も強くなり始め日本はやっと豊かになり始めたころでした、でもまだ日本で便箋に手紙を書くことで、当時どこでも普通に買えた便箋とはコクヨのデザインもへったくれもないジジくさい便箋かファンシーショップに売ってたガキっぽいイラストの便箋、このどちらかしか選択肢がなかった時代、フランスから来た手紙は圧倒的シックな紙質の便箋にセピアインクの美しいフランス語の筆記文字、これには天地がひっくり返るほどのカルチャーショックを感じました。
毎回送られて来る度にインク色が違ったりいろんな紙質の便箋だったり、圧倒的に手紙文化の違いとそこに漂う空気の違いにやられていました、、、、、そもそも英文字筆記体は学校で習ったものだけがすべてかと思っていたら、そこに書かれた文字はこれまで見たことがないアメリカ様式ではないヨーロッパ様式でそれ自体がショックでした。
あのころ日本の女子高生が書いていた文字は今では多分もう見られない可愛い丸文字体が主流で末尾にハートが書かれたりで、使う言葉も甘ったるい世界観だった時代にフランスの女子高生が書き送った手紙はもうIQ数が基本的に違うのか、日本とフランスの圧倒的文化レベルの差を感じ、文化って大事なんだな、、、、と感じた出来事でした。
この手のカルチャーショック体験は日本語で上手くぴったりと上手くハマる言葉って何かないですかね?ズバリ言い当てた言葉が見つからず言葉にならない思いですが、あのころの僕にとってはそれは衝撃的でした、そんなカルチャーショックが新鮮で僕はフランス語を勉強していたんです、、、、、多分幕末の志士たちはどこかそれに似た気分で海外文化を吸収していたのかなと思います。

さて前置きはこれくらいにして、、、、昨年アメリカに撮影に行った帰りに、わざわざロスアンゼルスに現像出しに立ち寄り、そこで余った時間、みやげ物探しに雑貨物スーパーにスタッフで行きました、1時間後にこの場所に集合という約束で各自自由時間の買い物散策を始めました、店内をクルクル回りますが、大半は食料品とか生活用品ばかりの店です、今回は食品類はみやげに買う気になれず、僕の足が向かったのはステーショナリー(文具用品)コーナーでした。
特にこれと言ったみやげ物は見つからなかったけど、ふと目が行ったのは革の厚いノートでした。サイズは25x17,5センチ、B5サイズくらいです、特に欲しいものが見つからず仕方なくというか、、、何気に数冊、自分と家族用に買いました。
この手の革の厚手ノートは日本ではちょっとした文具専門店でも見かけません、ちなみに伊東屋、アマゾンのホームページで丹念に探しましたが、意外にこの手のノートって日本人は買う習慣がないのか、、、滅多に見かけません、でもアメリカでは、大きな食品スーパーの片隅の文具コーナーにだって売っていました、日本と欧米では趣向の違いがここにありました。
その時、買いたいものが他になかったし、探す時間をたっぷりかけられなかったし、まあこれでいいや、、、、、と革ノートを手にしたんですが、持ち帰った当初は特にアテもなく放置していました、でも中を開いてしげしげ見ると紙質が厚めで英語学習にいい感じだなと使い始めました。
僕は学校時代、学校で学ぶ勉強は少しも興味が湧かず、ノートは書かないと先生に怒られるから仕方がなく書いていただけです、ノートに愛情を持って書く考えはなかった、その発想すらなかった、だから当然書く文字は乱雑だった、あとで見直したところで自分で何が書いてあるのか分からなかった、見る気もしなかったし、ただ白い空白を鉛筆で書き埋めていただけでしかなかった。
ところがこの歳になって再び英語勉強を始めて実感したのは思うようにアタマに入らない現実を痛感します、今の僕にとって学ぶとはアタマに入らない現実との戦いです、90%はアタマに入らずどこかに消えます、いかにしてそれを80%以下にするか、またはその現実とどう付き合えるか、日々あれこれ工夫しながら考えます。
当然、学んだことのノート記録は必須です、電車に乗った時、待ち合わせで時間が余った時、ノートを広げ繰り返し復習します、毎回毎回が繰り返しですが、そのうちに英文字を書くことが楽しくなりました、書くならボールペンではなく万年筆で書きたくなりました、いろんな万年筆で書きたくなりました、それで万年筆を片っ端から探し買い漁りました。
好奇心はさらに膨らみます、毎回、同じ色のインクで書くのはつまらなくなりました、何本かある万年筆にそれぞれ違うインク色を詰めて書いたり、色を調合したり好みのインク色を作って書いたりします、もし学校でこれをやったら先生から怒られるかもしれないけど、ここは学校じゃないから自由な色で書いたりできます。

革ノートに英文字を書くことがとても楽しくなりました、日本語の文字より僕にはアルファベット筆記体の方が肌に合っていて楽しいです、今や僕にとってノートを広げペンで英文字を書くことは至福の時の一つです、なかなか覚えられない英語フレーズですが、書きながらアタマに押し込んでいます、ややもすると書くことが目的になりがちですが、それは本末転倒で慎重になりながら文字を書くことを楽しんでいます。
この時代、ペンを手にして文字を書く習慣が少なくなった時代かも知れませんが、僕にとっては楽しいことです、せっかくですからやはり薄い数百円のノートにボールペンで書くんではなく高級ノートにお気に入り万年筆で好きなインクで楽しんで書くことだと感じました、それらの革ノートは日本でも買えるのか、いろんなサイトを調べましたが意外にないですね、日本ではあっても選択肢がほとんどない、また価格が海外に比べて首をかしげるくらいバカみたいに高いのが現実です。
妥協して高い価格で買うなら海外から直接、買った方が選択肢も広く送料を払ってもまだ安い、ちなみに海外サイトを調べる場合、noteではなくbound journal で検索した方がすぐ探せます。
僕は何かをする度に同じ轍にハマります、集中すると必ず国内で入手できる素材に限界を感じます、結局海外から調達するしかなくなり海外サイトに行き着きます、そんな訳で英語力は好きだけではなく必須としてやっています。
日本という国は現実的で物は豊かな国です、パリにはビックカメラのような店はなく街の片隅の小さな店に頼るしかないようです、日本は常識的なものばかり豊富ですが遊び性の文化、その非現実的な余白部分が浅いというか、多分国民性から言って永遠にこのまま変わらない気がします、そんなメンタルな文化性は残念ですが文化後進国とあまり変わらないレベルなんだな、、、、、少なくとも洋式ステーショナリー文化はそうだと僕は思います。

またノートにハマったついでに万年筆についても書きますと、自分の好奇心を刺激する万年筆、書いていて楽しい万年筆を探すうちに感じたことですが、確かにペンは書き味は大事です、多分日本製万年筆の品質は海外でどこにも負けない物作りだと思います、でも革ノートと同じで、どうでも良い説明の付けられない不可解な余白部分とでも言えば良いのでしょうか、意味不明な嗜みは日本全般には何かが物足らない気がします。
万年筆の代表格は誰もが知るモンブラン、ペリカン、パーカーですが、どうもそれらにあまり興味はそそられず、目下、手ごろな好みは、ウォーターマン、シェーファー、クロスに興味は集まります、僕はこれらのデザインの美しいスタイリッシュな万年筆が好きです、今のとこ目を付けているのは高価ですが、ヤード、オ、レッドの銀のペンが欲しいと思っています、まだ一般に知られていない余白部分の魅力を感じる万年筆はまだ他にもたくさんあります。
ロスアンゼルスで何気に手にした革のノートから万年筆にハマるまで僕のステーショナリー文化はひょんなことから始まってしまいました。
さらについでに言えば、そういう意味不明な余白部分はとても大事です、この説明がつけられない余白部分がその人のメンタルな作品をカタチ作るんだと思います、逆にそういうメンタルな余白部分がなければ作品はいつまでも理屈の感覚から抜けられないんではないかと思います。

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