アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

表現に使う脳の思考回路 

友人が今春写真展示をするので去年から目標を持って作品を撮っていたようです、彼は僕にこんなことをメールで書いていました、「色々と撮っていたのですが渡会さんの言う感情の入っていないものはダメだというのがよくわかってきました、(中略)そういうのがこもっていないと、記録写真とか作業と変わらないなと思いました。」
プロではない彼が今回作品作りに使ったアタマは多分日常で使う思考回路とはちょっと違った思考回路だったんでしょう、そこで感じた気持ちが実感がこもった話ぶりで伝わってきました、そうなんですよ、、、、そこが作品作りのシンプルなコアーなんですが、それが当たり前ではない感覚で作品を撮ることの方が僕にはむしろ違和感を感じますし、その方が返ってしんどいんじゃないかと言う気がします。
でも彼はアタマが良い人なので肝心なところはさっと気がつく人なんです、でも誰でもそこにすんなりと気がつかないみたいです、そこはいくら口で説明しても思うようにはなかなか伝わらないです。
表現するってことはまさにそこです、それしかないと言ってもいいでしょう、気持ちが入っていない表現はまさにただの作業なんです、多分音楽でも絵画でも、表現とはそういうものだと思います。
ただこれは言えることですが、自分の想いとか、感情とかが入っていれば良いかといえば必ずしもそうではない、表現に向く感情と表現に向かない感情がやはりあります、その意識を上手く使い分けるのが最も難しい仕事です、またそれが表現の醍醐味です、そのためにまずつかみ所のない意識、微妙で曖昧な意識をしっかり観察し整理分別できないと思うように表現が出来ないです。
表現にとって何がおもしろく、何がどう美しく、何が人の心をどのように揺さぶるのか、その意識の微妙な細部の部分とか意識の傾向が克明に観察しその理解が求められています。
色彩を例に具体的に説明します、色彩表現とは色の組み合わせ次第でいろんな色彩感情表現が出来ます、色彩ほど人の感情をダイレクトに表す素材は他にないです、合わせ方次第では摩訶不思議な色彩にもなり、妖しい雰囲気になったり、エグい色にもなり、激しい色にも、優しい色にも、幸せな色にも、憂鬱な色にも、暗い色にも、退屈な色にも、その組み方次第で表現はなんだって出来ます、要は作り手がそのカラクリと仕掛けをどこまで理解してるかです。
いろんな色と色の組み合わせをたくさん見て、あれこれ感じ、考え、想像し、試行し、錯誤し、色彩に触れる度に自分はどう感じているのか、その感覚を訓練し育てます、その色彩感覚に対する観察眼と洞察力と経験を自分の意識にしっかりとインプットします、それを繰り返すうちに意識内で色彩世界観がしっかり確立され、それがその人の表現の視座になります。
この表現の視座をしっかり持っていないと表現の基準点がなく冒頭で書いたように手法をただ使い回す単なる作業で終わってしまいます、でももしこの感覚の視座が克明にあるならば、それを使わないカタチ表現は友人が冒頭に書いたように単なる作業でしかないハズです、表現のおもしろさとはこの意識感覚を形に描き出すことが表現の真骨頂じゃないかと思います。

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