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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

曖昧なものの中から確かさを見る。(2) 

先日、関西まで各駅停車の旅の最中に車中で読んだ「白洲正子」鋏本佳代著、この本は久しぶりに大人の品を感じ良い気持ちの刺激を味わいました。
白洲正子さんの能の世界観はつまりは宗教に対する視座と極めて近いのではないかと僕なりに感じました。
白洲正子さんは古い良い能面があると聞けばどこでも見に行くその感覚は、僕は能にはまったく造詣はないんですが、すごく分かる気がしましたし、能面に託された表情は作り手の能に対する世界観が凝縮されているんだなと感じました。
前にも書いたように、能という芸能は多分、僕が生で鑑賞したとてしても、今の概念では多分掴みどころのない「舞」なんだろうなと思います、解釈次第でどんな風にも解釈ができそうです、大人として目に見えない概念に対する感性が試される気がします、こういう目に見えない概念、形而上学的概念とでも言いますか、、、、、なんと言えば良いのでしょう、言葉には表せられない概念でして言うなれば最も近い概念は「境地」と言い表すしかないわけです。
僕の好きなことばの一つで、ある宗教家が言ったことばですが、「世界は自分が深めただけ実相を見せてくれる」 正しい言葉使いは覚えていませんがそんな意味で語られていました、つまり裏を返せば、深めていなければ世界は僕らに何も見せてはくれないとも受け取れます、逆にカタチのない世界に対してなんらかの造詣を得たなら、あえて何かをしなくたってモノは自然に見える、と言う意味にも受け取れます。
これは写真を撮る時も同じことで、内面世界を看破する能力が育っていない人の作品は小賢しい手法ばかりに凝ります、逆に内面世界感覚に対して感じ取り、そのアウトプット訓練が出来てる人は、わざわざ小賢しい手法に拠らなくても世界は自然に写るわけです。
写真を一瞬見ただけで写真家は内面世界をどこまで掘り下げたかすぐに分かります、写真は一瞬にしてカタチに出ます。
まあそんな掴みどころのない形而上学的な概念をビールを片手に鎌倉から関西までゆったり各駅停車に揺られながら、だらしなく延々とつらつらとほろ酔い加減で白洲正子さんの考えを読んでいたわけですが、やはりさすがに良い家柄に育った白洲正子さんですね、、、、幼い時から確かな人から能の手ほどきを受けて来られたんだなと感じます、いい家柄に生まれるのはこういう環境に恵まれるんですね、、、、久しぶりに良い時間をすごさせていただいた気がしました。
僕が白洲さんに対し特に感心したのは、相当に自由な考えをお持ちだったのが本から伝わってきました、骨董に関しては、青山二郎氏から手ほどきを受け小林秀雄氏とも交流があり、多分相当良いモノに出会い目利きなはずですが、にもかかわらず、彼女の発言がおもしろいのは「ニセモノだって良いじゃない、、、、そんな物だって長く使い使い続ければ愛着も湧くし応えてくれるものです、」とか、「むしろニセモノか本物か目利きですら惑わされる物の方がかえって面白いわよ」と本に書かれてありましたが、、、。
その発言はお見事で、すごく粋な方だと思いました、、、まさに僕もそう思います、多分僕が白洲正子さんに共感するのはそこです、僕が一番好感が持てないのは見た瞬間に明らかに安っぽいインチキそのもの、それをそれなりの本物顔してるニセモノ、これが一番気分が悪いです。
目利きですら騙されてしまうニセモノって逆に興味深いですね、それなりの品格だって魅力だって当然そこにあるはずです、それなりの表現力と技法表現力だって、すべて備わっているはずです、もしそうならば、もうそこから本物とかニセモノとかを区分けする必要っていったいどこにあるんでしょう?その区分けの定義って一体何なのか?になります、むしろそういう物はそういう現代アートとして成立するんじゃないかと思うわけです。
僕はニセモノだとか本物だとか白黒はっきりさせることにあまり興味はないです、番組としてはおもしろいけど、テレビ「なんでも鑑定団」みたいに本物を当てるのはあまり興味はないです、当たっていようが間違っていようが、私はこれをこう見た、、こう感じた、こう思った、それに対しての感覚の目があればそれでいいと思っています、白洲正子さんのその本のサブタイトル「ひたすら確かなものが見たい」はそれについて充分満喫しましたし考えさせられました。

僕はこの通りたいした者ではありません、でもこの世の著名な大御所には何人も出会って来ましたし中には交流させていただいています、大きな撮影舞台も経験させていただきました、でもそれに出会う度、ほとんどブレることなく浮つくこともなく自分の感性を信頼し普段通り接します、むしろそういう場の方がかえって気が楽になるくらいです、もし白洲正子さんが存命でお会いする機会があったとしても同じ気持ちで楽しんで話せると思います。
それはこれまで自分が感じたことに向き合い自分の感性に信頼があるからです、この本のタイトル通り、ひたすら確かなものが見たい、それは物事をどれだけ知ってるかではないんです、知らなくたって構わないと思います、何か能力があるからでもないんです、自分にどれだけ向き合って来たかなんです、それさえしっかりしていれば、どんな大御所に出会ったとしても臆することなく素直に自分の気持ちをそのまま話せます。
むしろこれまでの経験からすれば大御所の方が自分をそのまま自由に話せる人はかえって多いですね、、、、普通の人の方がかえって話すのが難しいくらいです、もちろんその方との相性は当然ありますが、、、、、。

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