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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

スウェーデンに行って感じたこと、見たこと(3) 

空港で見かけたステキな椅子
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空港で見かけたトイレのドアー金具 IMG_0360.jpg

ここ2回スウェーデンで見たこと感じたことを書きました、さて今日はスウィーディッシュデザイン(スウェーデンデザイン)について書きたいと思います。
ちょっと前にある広告デザイン会社の社長、宮田織氏が書かれた「デザインするな」という本があります、そこに書かれた内容は、つまり敢えて肩肘張ってデザインなんかするんじゃない、無意識にデザインして良いものができなければプロじゃないって内容でした。
それ、すごく分かる気がします、写真だって同じで無意識に撮って写るくらいじゃなければダメだっていつも思います、さあ撮るぞ、、、という気持ちで撮った写真は見る側を疲れさせます、必ずしもすべてがそうとまでは言えないけど基本はそういうことだと思います。
去年暮れ、ある広告制作会社からカレンダーが送られてきました、パッと見はすごくオシャレにデザインされていますが好きになれず結局、飾ることなくどこかそこらに置いたままどこに行ったか行方が不明になりました、どうして好きになれなかったのか?それはカレンダーという物の存在と役割とそこに施されたデザインがなんか一致していないからです、早い話が、そのデザインはやたらオシャレしようと背伸びしていますが、機能的じゃないし、宮田氏の言うように、そもそもカレンダーなんかそこまでデザインなんかするな、と言いたくなります、デザインした人の物事認識の薄さを感じたんです。
そんなカレンダーを使うくらいなら100円ショップの普通のカレンダーの方がメモ書き込みができるし、文字も大きいし、背伸びがない分ただのカレンダーとして扱えます。それをデザインした人はカレンダーなんて所詮たかがカレンダーなんだをどこか置き忘れて自分表現しか目が行っていないのが伝わってきます、だから好感が持てないんです。
要するにデザインなんて所詮は虚しいものでしかなくそれがデザインなんだ、、、でもそれが分かった上でデザインしなさい、、、宮田織氏はそれが著書で言いたかったことだと僕は思います、写真だって所詮はただの写真でしかない、それ以外に何ものでもない、、、表現する者は一度はそんな刹那感と虚無感の限界を味わって、それを一度受け入れ、その葛藤を味わった上で表現をする気持ちじゃないと奥の深い表現なんてできない気はします、これは何なんでしょう、ある種この世に対する諦観(諦めの境地)とでも言えばいいのか、茶の境地のような、禅の境地のような、、、。

スウェーデンを1週間ほど滞在して、街を散策して感じたこと、空港であれこれ見たこと、レストランとか、ざっといろんなものを見て感じたことは、明らかにダサいものが不思議なほど少ない国でした、また貧しい家、ボロい家、貧民街とか、そう言う裏っぽさもほとんど見当たらない、目に付くものは不思議とどれも一通りきちんとしていました。
基本的に貧富の差がほとんどないとは聞いていますが、、、まあそれが良いことなのか、どうなのかは、、、ここではなんとも言えないけど、どの家も適当にきれいで見た目はほどほどにオシャレです、これはどうしてそうなのかここで考えて見たいと思います。
僕はアトリエ水平線の建物を大工と家一軒を始めから終わりまでの作業を経験しました、だから家に使用した各パーツ類はすべて自分たちの目で選んだものです、その中には電源コンセント、水道蛇口なんかは業者が持って来たものをそのまま使ていますが、ドア取っ手とか照明器具とか玄関先など、特に目に付く要所はすべて自分で考え選び、自分で作って設置しました、でもそれは特に肩肘張ったこだわった考えでそうしたわけではなく、好き勝手やって気がついたらそうなっていた、そんな感じです。
家を建てる作業を一通り経験して気がついたのは、日本では大工や各業者が扱う既成品パーツをそのままなんの抵抗もなく素直に受け入れていたらその家は間違いなくデザインの悪い家になると思います、それは日本の住宅パーツはあまりにもデザインが酷いからです、現状それらのデザインはもはや酷いを超えて、、、、なんと言うかデザインなんか始めからまったく存在していないようなモノです、むしろ昭和の金具の方がよほど品があったりデザインされていた気がします。
前にニュージーランドに行った時、時間を持て余しホームセンターに立ち寄りました、どんな住宅パーツが売られているのか見たかったからです、酷いモノも確かにありましたが、よく探せばやはりいいモノもありました、でも日本のホームセンターではそんなものはほとんどないのが現状です。

先のカレンダーの話に戻りますが気の利いたデザインなんか存在しない住宅環境に過剰にデザインされたカレンダーが掛けられる、考えただけで居心地が悪そうです、むしろシンプルにデザインされた良い環境に適当なカレンダーが掛けられた方がよほど自然で疲れないです。
前置きが長くなりましたが、スウェーデンはそのプロダクツデザイン(物のデザイン)と環境デザインのバランスがすごく良いと感じました、住宅はそんなに凝ったデザインなんかしていないんです、ただあの国は木材が有り余るほどあるので、住宅には惜しげも無くふんだんに無垢の木材が使われています、だから見ていて安らぐと言うか良い感じになるんです、それで持って適度にデザインされているから余計にオシャレに感じます。そのそこそこの適度な感じが気持ちがいいんです。
日本の住宅に美観がないのは家の素材は、特に外壁材は不燃材が主に使われるいるからです、この不燃材は美観としては最悪なものです、また家周辺のフェンスも美観が酷いです、どうしてもっと美観に対して気を使わないのか不思議でたまりません、スウェーデンでは木材の上にペンキ塗装が施されているので温か味を感じますが、日本の住宅材は機能ばかり優先で美観は最悪です、でもやはりその不燃材の耐久性は木材よりはるかに長いのは確かです。
効率性とか長持ちするとか手間いらずに関してはほどほどに考えられていますが、快適性、居心地の良さに対する配慮はアタマが麻痺してると言わざるを得ない気がします。
イケアのデザインは凝ったデザインはしていないと思います、ほどほどのデザインですが、物事に対し背伸びはなく均等にバランスよくデザインがされています、とりわけ感心するのはデザインの前に商品全体に基本コンセプトがしっかりあって、商品はどの方向性で展開がされるのかがしっかり考えられ、その上にデザインされている感じで、その位置付けがよく伝わって来ます。むしろ目に見える視覚的デザインより見に見えないプライオリティーの方がしっかりデザインされている気さえします。
つまり要約すると、決してデザインが品物の前に出るわけではなく、まずは考えが先でデザインが次に来る、デザインとは所詮はそんな位置付けなんだ、それはスウェーデンの住宅デザインとかちょっとしたプロダクトデザインとか、いたるところで分かりやすく同じ考えが伝わって来ました、デザインなんてそれくらいがちょうど良いと言う考えです、先のカレンダーデザイナーはその考えが甘い気がして僕は好感が持てないんです。
しかしスウェーデンではあらゆるものがきちんとデザインされています、空港のゴミ箱からトイレドアーの金具まできちんとデザインされ、しかもコンセプトに基づいたプロダクツであることが伝わって来ます。これはちょっと日本では考えられないことで、日本ではデザインされたモノと、デザインされていないモノがはっきり区別されているのが現状です。
しかし悲しいかな日本は物が豊富な国であるがゆえにデザインがされていないモノがあまりにも多すぎる、ましてそんなモノが大量にあり過ぎるがゆえにガラクタだらけの国なのが実態です。
つまり話をまとめると、街の美意識の高さとプロダクトデザインが美しいのは偶然ではなく根源は同じ思想じゃないかと思います、それがスウェーデンでは地に足が付いたところで上手く存在しているワケです、つまりゆとりの暮らし感覚と良いデザイン感覚はルーツは同じ思想であり、彼らはそこが日常で当たり前のこととして生活してるんじゃないかと感じました。
つまりデザインの本質とはモノを美しく飾る、仕上げる、ことだけではなく、人の環境、道具としての器をまずは扱いやすいように設計し仕上げることであり、それは美味しい料理を作って食べることと同じであって、人が生きる環境をきちんと考え整備することなんだと思いました、スウェーデンはその思考が明らかに日本より先進国じゃないかと思います。
そう考えると先進国の定義とは一体なんなのか考えさせられてしまいます、これまでの基準は生産性が高いとか収入が多いとか、発展しているとかが基準でしたが、この国は先進性基準は過去の基準にも当てはまらない新しい価値基準を模索し実験している新しい国の姿なんだなと僕は感じました。

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