FC2ブログ

アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

先日の新幹線事件について思うこと(2) 

昨日の記事について少し加筆したいと思います。
この話題には嫌悪感、反感、僕の考えに違和感を感じる方もいるかも知れない、そういう方はパスしてくださいませ。
これは何かで読んだ話ですが、親鸞聖人の弟子で唯円と名乗る方がいました、親鸞と唯円のやり取りが面白くその一つにこんな話があります。
ある日、唯円は親鸞にこう切り出しました、「私にはとても人を殺めることなどできません」と親鸞に言うと親鸞は唯円にこう諭した、「もしお前がこれからも人を殺めなかったならば、それはお前の心が清らかだからではない、お前は人を殺める縁にただ出会わなかっただけの話だ、もしお前もその縁に出会ったならお前だって人を殺めてしまうかも知れないぞ、」
この言葉は重い言葉です、親鸞は唯円に、罪を犯すとは誰だってしたくてするんではなく、それをせざるを得ない立場に追い込まれ、止むに止まれずするんだと親鸞は唯円に諭しています。
これは親鸞と弟子とのやり取りで時代を超えて残っていますが、僕には当たり前の話にも聞こえます、人とは生まれた環境や出会った人によって、その人の人生は左右されると僕は思います、むしろ人の意思力なんて環境や出会いの影響力に比べたら、些細なものでしかない気さえします。多分それなりの結果が残せた人とはそれなりの環境とその縁になった人が身近にいたから出来たんじゃないかと思います。
もちろん、自分の意思で環境や出会いを引き寄せることもできますが、幼少期の家庭環境とか先天的に、親から流れ込んだ体質とか因果は本人にはどうすることもできず運命に翻弄されるしかないことだってあると思います。
僕自身、まだ若く自分の才能や不足を自分ではどうすることもできなかったころ、本当に世の中にあるものはほとんどはうんざり疲弊させられるものばかりで、どんな仕事をしようが自分とはかみ合わず、自分に居場所がなく、そんな条件を生まれつき背負い、手も足も出なかったことがありました。
あの新幹線で誰でもよかったから、と人を殺害してしまった小島容疑者の置かれた立場は記事で読んだ限りではかなり条件は悪く父親との関係が極めて疎遠だった、精神的に相当に追い詰められていたんだなと胸が痛む思いでこの事件を見ています。

この記事に対するコメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://suiheisenbiz.blog52.fc2.com/tb.php/2094-2d6e8eda
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)