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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

要するに自分の心の心象風景の扉が開けばものは見えてくる(2) 

昨日書いたブログはかなり偏った考えで書いているのは自分で自覚はしながら書いています、それがすべてだとまでは言わないけど、まあそう言う考えもあっても良いんじゃないかと思いながら書いています。
昨日テレビ(池上彰の番組)を見ていて世の中の新しい流れについて感じたことがあります、最近の優良企業についてですが、ベスト企業にランクされたのはカリフォルニア、シリコンバレーに拠点があるアップル、グーグル、アマゾン、フェイスブックなどがトップを占め、日本企業が上位に入ったのはわずかにトヨタだけ、かつての日本企業の物作りの優秀さはどこに消えたのかって思っていました。
番組ではフェイスブックが大きく取り上げられていましたが、確かにアップルはスマフォの発明によって時代を変えたのは事実です、アマゾンの躍進ぶりも十分理解できます、とにかく店に行って物を買わなくなりましたし、ほかの通販サイトに比べてもシステムの新しさ、快適さ、は認めざるを得ない何かがあります。
ただ僕がわからないのはフェイスブックがトヨタより上位にいることです、そのランキングは売上ではなく台頭ぶり指数なのかは分かりませんが意味不明を感じます、確かにフェイスブックはみんなに認知された膨大なコミニケーションツールには間違いがないんですが、表立った広告収入はないし番組で見せていたように多くの社員が次々に生み出す新企画が一体それがどこに生かされているのか?その実体感覚が乏しいし、巨大優良企業に見合った利益を生み出せる商品バックボーンがどうしても僕には実感がないし、いわゆる確かな実態はまるで感じられない企業です。
アップル以外はすべて物を生産しない企業です、その企業体質は時代感覚が変われば一瞬に消えそうな危なげな貧弱さを十分に抱えている気がしますし、基本的に僕はこの手の産業体質が好きになれないのは情報商品で利益を出しているわけですが、一時期は花形産業に思われがちですが、早い話、どこか商品に実態がない虚業をすごく感じますし、時代が少しでも変われば企業価値はただの二束三文に落ちぶれそうです。
話を戻せば、そういう産業が隆盛する時代とは、物事に対して実態感覚が乏しく、価値観の浮き沈みが激しく、物事のリアリティー感覚、人間の思考力格差が広がる傾向の気がします。早い話が考える人と考えない人の格差がバカみたいに大きくなる気がしてあまり理想的健全社会に向かっているとは言えない気がします。
一見すればそれらのニューカレントは消費文化を活発にさせ経済効果があって良いように映りますが、実態は買っては捨てる愚かな消費行為を促すばかりで巨大な消費ゴミをどんどん増大加させます、これが行き着くとこまで行けば、「文明社会病」の根源、大きな落し穴が潜んでいるのを忘れてはならないし、僕は車に乗り付けて、安いからと行って狂ったようにバカ買いさせるコストコのような激安大型ショッピングセンターの台頭ぶりはどうも好きになれない文化です。

さて話は昨日の続きに戻しますが、みんな思春期にはまるで麻疹にかかったように何らかのカルチャーの影響を受けて大人になります、ある人にはサザンオールスターであったり、最近話題になっているクイーンであったり、ちょっと古くはビートルズであったり、またグラフックで言えばNYのアートシーンであったりです。
それに影響受けた人たちの気分は多分、伝統的な印象派の美意識とか価値観にくらべてNYのアートシーン、デザイン感覚は都会的でオシャレ感覚に溢れていたと思います、僕にとっての青春時代のバイブル的存在はやはりフランスのポップスで、その夢感覚だったわけです、みんなはフレンチポップスとシャンソンをよく一緒にするけどシャンソンは僕にはちっともオシャレではないし、どうも感覚が古くジジババ臭すぎたけどシルビーバルタンやフランソワーズアルディが醸し出していた世界観とかオシャレ感は僕にはとにかく素敵でしかなかった。
それに出会って自分の住んでる環境を見渡したらモノは確かに豊かにあるんだけど、所詮は優雅さにはまるで程遠く言葉にならない貧乏臭さを感じていた。僕が浴びるように影響を受けたのはアメリカ文化ではなく60〜70年代のヨーロッパ人の美意識とその感覚だった、しかしアメリカとヨーロッパの違いなんて何もわからなかった中学生だったけど、不思議なことにただの直感だけでその違いをずいぶんと正確に感じ取っていたんだから直感の判断力とは安易にバカにできないと思う、もしこの違いを理屈で一から説明なんかしたら、、、、、もう話が途方もなくとんでもないところに行っちゃうんだけど、直感的にはそれが一瞬にして説明がついちゃうから不思議なものです。

1800年末から1900年代初頭のアメリカの発明ラッシュ時代はアメリカの歴史で僕もすごく好きな時代なんだけど、どうしてもヨーロッパの方が絶対に惹かれるのは、やはりそこには過去の遺物である貴族文化がどこか根底に潜んでいるから好きなんだと思う、貴族ってフランス革命では一斉に捕らえられギロチン刑に処された、たしかに貴族と時代の真っ只中に一緒に暮らしたならば貴族なんて庶民にとっては百害あって一利なしだけど、残された歴史的文化建造物からすれば、貴族の残した遺産はやはり輝かしい財産であり間違いなく宝物だと思う。
今の時代の人々の根底にあるものはどこまで行ったところで所詮は目先の利便性と効率性による生産性でしかないと思う、 それ以外の概念、価値観、などは直接的にはほとんどなく、結局行き着く価値観は、少しでも、早く、安く、効率よく、手間を掛けず、情報や物がスムーズに取引されるのか、、、そこじゃないのかな?でも貴族たちが目指した価値観はそうじゃない、今にくらべたら宇宙人感覚を持っていたような、予算なんてまるでアタマになく破茶滅茶でしかない、とにかく少しでも圧倒的で、荘厳で、美しいものを作りたい、という無謀な企みばかりに明け暮れていた。
そういう優雅な文化を血筋に生まれたヨーロッパ文化に僕は思春期に麻疹のようにハマってしまい、ハタチになって早速現地に渡ってそこで暮らした、でも現実は毎日ただフラフラするだけの無駄な時間を消費しただけだったが、それが年を取っていつしか僕の原点となって今のもの作りはすべてそこにある、それに対してどうしてもNYのアートシーン、今の日本のカルチャーには根本的に好感が持てないのは、それらの文化は所詮は根底に物をいかにして効果的に作って売ることが最終目的だからそこには宗教的な面白みが今ひとつ物足らない。
そう思うと1900年代初頭の時代は激動の時代で興味が尽きない、あの時代感覚はやはり新しい時代の夜明けだったと思う、次々に発明される根拠は、物を売る目的だったんではなく、それまでの中世ヨーロッパとは重たい宗教的教会権威、その社会的重圧だったんです、特にカトリック社会では聖書のモラルから外れては何もできない重圧の中に人々は長い間呪縛されていたんですが、それが新しい時代と共に発明ラッシュ時代が到来し時代は科学が台頭し、その流れが聖書の重圧を丸ごと引っくり返し人間の概念を変えてしまった。
それは今の消費経済目的、経済効果だけが目的ではなく(あるにはあったと思うけど)新しい時代の幕開けに人々は希望を感じた時代だった気がします。そういう幸せ感が印象派絵画には溢れていて、パリ万博でパリの真ん中にエッフェル塔を建てたり新しい時代感覚に人は酔いしれた、でも今の時代文化はそうではなく何でもかんでも、背後に経済効果の企みを感じそれを感じるとすべてが興醒めするしかなくどうもそれが好きになれない。120年前の時代感覚が好きなのは、あの時代感覚は希望に満ちていて、どれも複雑な構造ではなく原理が単純で僕は好きなんだと思う。
果たして人間はそれ以上に複雑になる必要が果たしてあるのか、、、、、と時々思うけど、僕だって安く飛行機に乗ってヨーロッパに行けるからその恩恵は十分に受けているし、考えれば考えるほど難しい話です。

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