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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

日常とは違う感覚 

前回の話についてもう少し掘り下げて書きます。
物事には、、、特に芸術作品には、見れば見るほど心が虜にさせられてしまう、いわゆる「魅せる」力を持った物が確かにあります、それが物語であれば「文学性が高い作品」と呼ばれるものです。
一昔前に大ヒットしたモーツアルトの話で「アマデウス」という映画がありました、その中でサリエリが「私の音楽は長くは持たないやがて廃る音楽だろうけど、彼の音楽はいつまでも人の気持ちの中に生き続ける音楽になるだろう」と言っていたのを思い出します。
先日書いた話で美意識について宗教的な美意識と都市的美意識の話を書きましたが、特にそれら二つに分けて書きたかったんではなく、宗教的次元の美意識はちょっと日常の物差し感覚では計れない奥の深さがあります、それについて書きたかったわけですが、その違いの概念をここで書き表すことは、そう思うようにカンタンには書けません。そんな概念は下手に書けば、ただ安っぽくさせるだけです。
物事を、特に人について甲か、乙か、2つに分けてあれこれ批評したり屁理屈を並べるのはどうも真っ当な人格を持った人のすることとは言えないのは分かっています、でも現実を直視すれば、やはり悲しいかなこの世にたくさんいる人間には一級人格と二級人格、それ以下の人格がどうやらあります、現実を見渡せばそうとしか言いようがない、、、と僕は思います、もちろんだから、二級の人間的存在は一級よりも軽い、と言いたいわけではないんですが、やはり人格とその質には明らかな差が存在します。
どうしてそういう違いが出るのかはいろんな背景があると思いますが、やはり育ちからによる教育が大きな要因だと思います、きちんとある価値観を持った家庭できちんと教育を持って育てられればそういう人格が身につくし、それにまったく縁のない家庭に育てられれば、それしか身につかないのは必死です。そういう意味ではイギリスって国はやはり格式、品格のある国だなって思います。
前置きはさておき、やはり、そんな何かがそこに立った瞬間、その空気がさーっと一瞬して変わる、場の空気を変えてしまう力を持った存在はこの世にはたしかにあります、今までレベル5くらいだった空気が一瞬に、レベル10位上にしてしまう圧倒的な力を持った存在です、そう言うものを「突き抜けた存在」と言います。
そう言うものは、何か特別なことをしなくたって、そこにあるだけで、すべてを変えてしまいます。ある意味でそう言う存在をスターとか、カリスマと、私たちは呼びます。でも実際にスターでも実際に会ってみれば圧倒的なパワーを持ったスターなんて滅多にいない大半はそこらの一般人と何も変わらない存在です。
先日僕のカメラの前に立った彼女は、まだ一瞬に場を変えられるまで成熟はしていないんだけど、この子が本当に成長したらそうなってもおかしくない、またそう言う予感を十分に感じさせる気配を持っていた、多分この子はまだ原石なんだろうね。
そう言うキラッと来る原石に触れると、普段の現実感覚がいかにバカらしい中で生きているのかをあらためて思い起こさせてくれます、たまにはそう言う気配を撮りたいなって、この子に出会って僕は思った、こう言う感覚は長い間、接していないと「感覚を忘れちゃう」んです。
いつも思うことは日本の日常感覚ってそう言う感覚から遠ざかってしまう環境だと思います、だから定期的にどこかに行きたくなるんだと思います。

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