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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

カメラの前で発するオーラ(3) 

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人を撮ることを書きはじめたらスイッチが入ったみたいで、僕の中にはその手の埋もれた記憶がいくらでもあります、そんな埋もれた記憶は人に晒したりして風通しを良くした方が良いと思う、それで遠い記憶とその想いとか、そこで学んだこととかのいくつかを引き出して書いて見たくなりました。
これはその想いの筆頭ですがある雑誌の撮影です、ここに写った大沢監督はもうお亡くなりになって、もうとっくに時効だろうし、ここにまつわる裏話も公表したところとてもう誰にも支障はないと思って表に出します。
当時、カメラマンとして仕事をやっとパラパラもらい始めたころ、でもまだバイトしないと生きて行けない微妙な時期で、自分の立ち位置を確保するためにもこれ以上の必死さはないくらい切実な気分で生きていた、もらった仕事はなんとしても結果を出さないわけには行かないと毎回、毎回が真剣勝負だった、当時の仕事ぶりはやはり珠玉だったなと思います。
でも人生ではいっ時そういう時期は必要だと思う、特に表現をするならそう言うギリギリ体験がないのは感心しない、それくらい追い込まれた必死さってそんな時期じゃないとできないし、それにフリーなら拘束されない分、それくらいギリギリまで行ける、もし会社員なら同じギリギリでももっと違うカタチで自分を追い詰められるだろう、自分が選んだ道でギリギリまで行ってなんとか成就することがあるんだとを僕はあのころに学んだ。
さらに言えば物事は能力があるから成就するとは限らない、それだけはどうにもならない、能力より切実な気持ちの方がよほど重要だ、ギリギリまで行ってやっと出会えるものがあると僕は思っている、でもそ言うギリギリまで行けることを含めそれを能力なのかも知れない、でもあんな時期をもう一回、味わうのはもうイヤだ、でも仮にまたしたくたってもうできないだろう、そう言う過酷な精神状態に僕はいたと思う。

そんなころの話です、その仕事はパリーグの監督をポートレートする仕事で、その雑誌で仕事ができるってことは無名カメラマンにとってはすごく栄誉だった、当時Jリーグが脚光を浴びて野球人気が落ちたころでパリーグは輪をかけてマイナーな存在だった。その雑誌はそんなパリーグの特集を組んだ、そして近鉄時代の野茂が表紙を飾った、野茂がメジャーに行く意思を初めて語った記念すべき特集だったと後で聞いた。
僕が担当したのは、日本ハム大沢監督、オリックス仰木監督、ダイエーホークス根本監督の3人を撮ること、撮影はオリックスの仰木監督から始まって、これは問題なくサシで監督を撮らせてくれてすんなり終わった、監督はややシャイな方で正面切って撮られるのは好まないのがすぐ分かったから、ボールを持ってもらって、いじって遊んでるところを撮らせてもらった。
後日、日本ハムの大沢監督の番になったが問題が起きた、球団広報は監督をサシで撮ることを許さなかった、わざわざ監督を捕まえないで、球場にいるところを望遠レンズで遠くからさりげなく撮ってくれと言われた。
でもその時の編集者が立派だった、自分たちの仕事にプライドがあるからできたんだと思う、黙って引き下がらず、「仰木監督だってサシで撮らせてくれたんです、やっぱり大沢監督だって同じようにしないと申し訳ないですよ、、、、って粘り強く交渉した、そのやり取り現場を、たまたま偶然に通りかかった監督ご自身が「お前ら、何言ってんだよ、、、、、、、いったい何枚シャッター切りたいんだ?」と監督は僕に大声で聞いた。
「もうこうなったらこっちのもんだな、、、」って僕は思った、でもここは絶対に躊躇してはならない、さっと「40枚です」ってきっぱり即答した。
「40枚も撮るのか!」って監督は大声で怒鳴ったけど、「はい40枚です」と怯まずに応えた、僕その大声にはまったく動じなかった、これに怯んだらこっちの負けだしきっぱりと歯切れよくするしかない、それにこの手の威圧はなんとも思わなかった、「よし、わかった、じゃあどこで撮るんだ、、、、、、」「はい、そこで撮ります」って場所の指示をさっとして僕はカメラバックを開いた。
持ちフィルム数は40枚、本当はもっと撮りたいところだった、普段より少ないけど撮らせてもらえるんだ、ここは決めるしかないってカメラをすぐにセットし撮影に入った。20枚くらい撮ったあたりかな?「このままじゃあダメだな、、、」間違いなくツマラナイ上がりがハッキリ分かった。
監督は意外にシャイで不器用なのか、ちっとも決まらない、またはカメラの前でやや硬くなっていたのか、とにかくこのままでは絶対につまらない写真しかないのは分かった、ここは一つ打って出るしかないって直感した、勝算は絶対にあると確信していた。
何を言ったのか細部まで覚えていないけど、仰木監督の名前を出してライバル心をくすぶってやろうとした、もし仰木監督に同じことをしても、多分フフッて笑われておしまいだけど、大沢監督なら間違いなく、引っかかるって確信していた、、、、そして僕の思った通り以上の結果になった。
監督はすっと立ち上がって「仰木なんかカンケーねえだろう!もう止めた!」って大声で僕に怒鳴った、でもこれは一旦謝れば収まる確信があった、それは紙一重だったかもしれないけど、ここまでやらないとこの人は撮れないって20枚撮った時点で確信した。
それで僕は即、謝った、監督はブツブツ言いながら「コトバに気をつけろ!」と言って座り直し撮影は再開した、しかし監督の表情はさっきとはまったく変わっていた、カーッと激昂したのが顔にしっかり出ていた、僕はシメシメこっちの思うツボにハマった、これがしたくてカメラマンになったようなものだ、、、って心の中でほくそ笑んだ。

その日、撮ったフィルムを現像し、写った写真を見て僕は驚喜した、これはかなり特別な例です、ここで言いたかったのは、人を撮るってことは商品撮りじゃない、きれいなライトで上手に撮れば良いってものじゃない、撮られる側と撮る側とのぶつかり合いで、そこに生まれるバイブレーションを金魚すくいのようにさっと撮るものと思っている。
カメラの前に立った相手はどんな人で、カメラの前ではどんな気分なのか、何をすべきで、何はすべきじゃないのか、相手の心を読みながら、流れを読んで、徐々にこっち側に持ち込んで、さっと撮るのが醍醐味じゃないかと思う、それが一番おもしろいって思っている。

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