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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

旅を通して日常生活を振り返る 

昨日は旅について書いたので、今日はもっと突っ込んで掘り下げて書こうと思います。
僕はこの通り旅に出ることがすごく好きです、でも実は旅は好きですが、それ以上の本根は日常生活から出たくなる、これが本当の理由じゃないかと思います。だから日本国内ではダメなんです、日常からバッサリ切り離した環境に行くことが目的なんです。
昔、広告カメラマンを目指して上京し、スタジオアシスタントから始めて毎日入れ替わりやって来るいろんなカメラマンの撮影やライティング、現場の仕事を見て、撮影について学び、一通りの撮影手順を覚えたら次に大御所カメラマンの助手に就いた、撮影を通して師匠の写真の考え方、生き方などを学び、そこを卒業した時点でいよいよ自分で作品を撮り始めた時に僕は大きな壁にぶつかった。と言うよりそこに大きな壁が存在していた事実を撮り始めて初めて気がついた。
スタジオで作品を何度か自分なりに撮ってみたけど、撮っても撮っても、少しもピンと来ない、撮った手応えがない、そういう気持ちをなんと説明すれば良いのか?とにかくピント外れで、御門違いなことをやってるような、自分の写真を撮ってる実感がない、決められたことを必死になってなぞっているだけで自分でありながら自分じゃない感触と言えば良いのか?やっていて少しも楽しくない。
もちろん広告写真とは好きな写真を撮ってお金になるモノじゃない、広告主の要求に応える写真を撮ってお金がもらえることだからアマチュア時代のように自由に写真が撮れるモノじゃないくらいは分かって入るけど何をすれば良いのか、作品として何を撮るべきなのかそれがよく分からなかった。いくら何をしても所詮、誰かのモノマネでしかなく、やっていてもただ虚しくなるばかりだった。
それと、もう一つ大きな壁を感じたのは、この手の写真は「何もないところで、何かを設定して、キレイにカッコよく撮ること」です、でも日常身の回りを見回したところで、これと言った撮ってみたいものなんてほんとんどなかった、せいぜい考えられたのは女の子をキレイにカッコよく撮ることくらい、それくらいしか現状では考えらなかった。
つまり何だって良いから、まず決められた枠の中でカッコイイ写真が撮れること、それが広告として上手く成立すれば合格なワケです、手取り早いモチーフは女の子を上手く撮ることだけど周りにモデルになってくれる子はいない、ヘアーメイクをしてくれる人もいないし、そこで僕はどうすれば良いのか困った、これは僕だけでけの問題ではなくみんなそれぞれ同じような壁で行き詰まる、そこで考えて自分なりに壁を上手く越えられるか、越えられずに終わるかがカメラマンになれるか、なれないか、分かれ道じゃないかと思う。
さて自分はどうすべきか考えた末の結論は、アシスタント時代は広告業界に必死になってついて行こうとした、でももうこれからの行き先はその考えは終わりにして、これからは自分のアタマで考えて生きていかなきゃならない、このままの思考感覚じゃダメだ、もっと自分に向き合わなくては何も始まらない、でも今と同じ環境の延長線上にいたところで何も変わらないだろう、じゃあ、思い切って旅に出るしかないって思った。
この時の気持ちをどう説明すれば上手く話がつくだろうか?つまり自分はすでにその当時の環境にしっかり洗脳されていて、自分で物事を等身大に自由に見ることはもやはできないと判断し、その時の自分の思考力と環境にさっさと見切りを付けた、当時結婚したばかりだったけど、家内も同じように閉塞感を感じこのまま同じ生活を続けたところでどこにも行けないと判断し二人で思い切って、アパートは数ヶ月分の家賃を支払って荷物をまとめて僕らは長い旅に出た。
でもそこで注意しなくてはならないのは、旅に出たからどうにかなる甘いモノでもない、それは旅に出てまず最初に感じた事だった、ただ旅に出て浮かれて観光地を見て周るだけの旅なら多分何も収穫はないまま旅は終わるだろう、旅に出たならそこで自分は何を考えなくてはならないかを真剣に考えなければ、多分何も見つけられずに終わってしまうだろう、それを考えることから始まった。
まず始めたのは日本の写真業界で染み込んだ考え方、日常の常識の考え、日本の環境ですっかり自分に染み込んだ思考価値観を旅をきっかけに、旅で出会った人と話し合ったり、考え直したり、自分で自分について向き合うこと、時間はたっぷりある環境だった、自分に影響を与えるものは一切ない、すべては自由だった、日常とは違う環境でそんな時間を過ごすことって多分みんなが思ってる以上に必要なことだと僕は思う。これをやるかやらないかではその後の人生に違いが出るとさえ僕は思っている。
旅で新たな考えのきっかけを掴んだ事は確かだけど、僕の場合は1回目の旅で、物事がすべてが上手く行ったわけではなかった。それにただ考えて終わるだけなら、それはただの絵に描いたボタ餅のまま、そこから自分は実際に何をするのか、その模索が旅をきっかけに始まった。まあ今にして思うのはあの時があったから今がある、あのころいろいろ考えた事が今の思考の基礎になっている、若いころに崖っぷちに立たされて必死になって考える時期は必要じゃないかと思う。今思えば贅沢な時間だったなと思う。

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