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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

ムンバイからゴアに移動し、やっと旅は充実感を感じ始めた 

自然発酵する写真

初めてカメラを持ったのは中学生の時に蒸気機関車を撮って写真を知った、機関車を撮るとは既成の枠の中で機関車をどうやってカッコよく撮るかだけ考えれば良かったけど、僕がこの街で混沌としたインドを撮るのは機関車を撮った時とは撮り方が違った、白紙状態で偶然出会った街をどう表現するのか?狙い視点を一から問われているわけだから機関車をカッコよく撮るのとは違う、使うアタマも神経もすべてが違う、そこをどう攻略するかが問われていた。
人から見たらどっちもたいして変わらないことかも知れないが、始めから多少の思い入れがあって撮ることと、まったく白紙の状態からこれをどう表現するのか、、、ではやはり心構えはまったく違う、少なくとも僕は違うしカンタンに自由にはなれない葛藤があった、機関車がカッコよく撮れたから、写真のすべてが上手く撮れるとは限らない、そこに僕は結構長く苦しんだ、馴染みのない素材は思うように自由になれなかった。
そんな時はカメラを持つことすら気が重くやる気が起こらない、でもカメラマンになるならそこは超えないと話にならない、泣いても笑っても、気が乗らない心を励まして、撮って、撮って、越えるしかない、ひょっとしたらそこが越えられずにカメラマンになりそびれた人だっているかも知れない、一度その壁を越えられたら、その後も壁は存在するが、最初に比べたらやや楽な気がする、僕にとってその壁を越える初めての経験がこの街だったと後で思った。
撮って行くうちにうっすら気がついたのは、ドヤ街をドヤ街として撮るんではなくカッコ良さが撮りたかった、それがこの街を最初に見た時に全く感じられずその街を撮ろうという気さえ起こらなかった、家内のたった一言が僕を動かした、でもそれはやって行くうちに気がついた、物事とはどんな条件でも何らかの可能性のスキ間はどこかにある、とにかく拒むよりやってみるべきだと徐々に気がついた。

その街には何日くらい滞在しただろうか?多分10日くらいだったかな?それを撮り終えて、今度は船に一晩乗ってゴアに移った、インドがイギリスから独立した後もゴアは長くポルトガル領だった地域、さすがにポルトガル支配が長いだけにいたる所に教会が点在していた、ゴアにはいくつかビーチがあるが僕らが行ったのはアンジュナビーチ、そこはそんなに俗っぽい一般観光地ではないと聞いてそこを選んだ。
確かにひっそりとしていた、観光地らしき土産物屋もなければ宿らしき建物すら見当たらない、浜近くの林の中にポツンと一軒、粗末な海の家みたいな飲食店があった、入って昼ご飯を食べた、宿はどこか聞いたが、宿はこのビーチにはないと言われた、一瞬ボー然としたが、ちょっと離れた先を指差し一軒の小屋を見せた、空いていたら寝泊まりさせてくるよ、オーナーはあの家のロボスだと教えてくれた。
指し示された家に行って「あの家は寝泊まりできるのか?」と聞くと「何ヶ月滞在したい?」と言われた、何日ではなく何ヶ月?には拍子抜けした、「いいえ、、、1週間くらいで良いんですけどっ、、、、」と答えると、少し考えて、まあ良いか、、と言う顔して、「分かった、、、1週間ね、、、OKだ、、、」となって早速建物の中を見せてもらった。
すごい、、、、、言葉が出なかった、本当に見たままただの小屋でしかなかった、床はコンクリートでベットはないし、トイレもシャワーもない、用は浜のどこかでするしかない、シャワーはすぐ近くの井戸で水浴びをする、お世辞にも快適とは言えないが、この浜の環境をからすればこれはこれで良さそうだと思った、と言うか、、、まず海が目と鼻の先にあって、そんな体験は初めてだった、波の音を聞きながら暮らすのも良さそうと思った。
今まで旅のガイドブックに書かれた有名観光地を一個一個ツブすように旅をしていた、自分探しの旅に来ていながら、これじゃあ、ただの貧乏観光旅行と同じじゃないか、、、、と不満に思っていた、でもムンバイでインドに来て初めて写真に集中して何かを撮れたし、ゴアも暮らしも何かありそうなワクワクした気持ちになれたし、、、やっとインドで充実感を感じ始めた。

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