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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

せめてプライベート写真は自由になりたい 

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広告写真とは文字の通り商品を広告するための写真です、写真があって広告があるのではなく広告があって写真があるわけで、その広告制作報酬として一般人感覚からすれば高額なギャラがもらえます。
しかし広告写真はある部分で極度な神経が求められる仕事でもあります、その細かい神経を長くやっていると職業病のような思考グセが知らぬ間に身に付き常習化します。
木を見て森を見ず、重箱の隅を突く、これらが意味するのは、一本一本の木の細部は見ても森全体は見えていない、真ん中にある肝心なことが見えていないけど隅っこばかり突いている。
僕は助手時代からこの神経質なあり方に疑問を感じていた、この神経質なあり方はどうしても受け入れられなく、これはある種の精神的障害だなってずーっと疑問に感じていた。
決められたこと、約束されたことはソツなくきちんと出来るけど、自由にモノを考える力を失わせ、表現力をガンガラ絞めにするばかり、要するに自由表現とは真逆の方向に向かわせるとしか思えない、しかしこの職業病を振り払うのは、そう簡単なことじゃない、自分も含め多くの広告写真家は、この業界で生きるにはこの洗脳はどうしても避けられない、そんな感じがします。

フランスの女性写真家、サラムーンは自身の作品でその辺を嘲笑うようにやりたい放題、メチャクチャ、自由闊達な作品を発表しています、パッと見た感じではこんなのアリか?繊細とは真逆な表現ですが、どうしてどうして、、、作品世界観は素晴らしく緻密です、初めて見た時、かなりショックでした。

写真のように背景に布を張る時、シワが出ないように注意して張ります、また布と床の合わせはぐしゃぐしゃにならないよう神経を使って整えます、また右端の下に白壁が出ています、仕事の撮影ならまずNGですから、通常はよく注意して布を張ります。でもこの時はもっと大雑把に自由にしたかった。
僕が助手として最初に就いた時のカメラマンはそれについて異常なくらい神経質でした、口癖は「その辺が無神経なのはダメだ、それが気にならないようでは広告カメラマンとして失格だ」でした、助手として思ったのは、言ってることはまあ正論だけど、それで写真がつまらなかったら意味ないじゃん?と、その考え方に疑問を感じていました。
それから35年以上経って、その概念、価値観、考えについて今も答えは出ていないです、またほとんどの広告カメラマンがこれを患い、これは職業病のようなものだなって思います、正直、これを書く僕ですらやられているので作品を撮る時は思い切って意図して大胆さを心がけています。
大体、多少その方がものが見えます、物事に柔軟性が出て写真は自由になって勢いが出ます。ただし広告の撮影となるとそう簡単には行きません、やはりそこはスポンサーあっての広告です、直感的な感性より現実的な考えが求められます。
時々広告写真家が撮る作品展示を見ると、スキル、仕上がり、カタチはビシッとしているが、、、作品はなんだか面白くないのが多いです、隅々までルーペでアラ探しをしても、文句の言いようがないくらいビシッとキレイな仕上がり、高いスキルに驚くばかりですが心が動かないのが多いです。
マト外れな繊細さは写真をつまらなくさせ、勢いを損なう、でも撮ってる側はあまり気にならないのか、それで良いと思っているのか、分かってはいるけど、、、、、どうにもならないのか、よく分からない。
僕はプライベートの作品を作る場合、その職業病との戦いです、今回は特に神経を尖らせています、細部のことなんか少々大雑把だろうが、ツマラナイ繊細さをバッサリ捨てる、そこに神経を尖らせています。
でもその考えには危険性は確かにあります、時にしてドカーンと致命的な失敗に繋がりかねないことは確かにあります、だから多くの広告写真家はそこら辺は慎重なんだなって思う。
でも僕はプライベート作品くらいはぶち壊したいなって思う。

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